おはようございます。
最近初めてお会いし、とてもお世話になった方に言われました。”で、どう生きたいの?”と。
私はすぐには答えられず、ゆっくりと支離滅裂になりながらも話をしました。
そこにはぼんやりとこうしたいという気持ちがあっても、ちゃんと言わなければとか、恥ずかしくて言えなかったり、自分の理想に対して人に言う程の自信がなくてためらったりという感情がありました。
常に「自分がどう生きたいか」と言うことを思って生きていることはとても大事だと感じました。
それに付随して気付いたことがあります。
それは、自分で答えを出す癖を作ることの大切さです。
例えば、私達はスマートフォンやパソコンを持っています。それらがあれば、私達の「なぜ」に回答してくれる候補が出てきます。
また、何かの答えに詰まった時、本を読むことでその内容を自分の答えとすることが出来ます。
しかしながらこの癖が付きすぎてひたすら受動的になりすぎてしまうと、自分でまず回答を出すという機会が減っていきます。
そうすると知識量は増えても自分の思考する部分は衰えてしまうのかもしれません。
これは私の想像ですが、怪しい宗教にハマってしまう、怪しい商法に引っかかってしまう、一つのことに盲信してしまう様なことが起こる場合には自分で答えを出すことがおろそかになっている場合が多いのではないでしょうか。
その為、私はこれからはまず、「なぜ」「どう生きたいか」と自分の中で考えた際に、まずは自分で答え(仮説)を出す癖を付けようと思います。
そうして一度アウトプットすることで、その後に得たインターネットや本でのインプットの質は格段に高まるはずです。
そして、「どの様にして生きたいか」といった自分と対話する必要があることの答えは常に自分の中にあります。
例えそれを直視するのが少ししんどくても、直視する様にしていきたいと思います。
それでは。