メタモルフォーゼ
最近、師が新たなるコンセプトを提唱した。
その名も、メタモルフォーゼマッスルテスト。
メタモルフォーゼとは、ギリシア語のmetamorphosis(メタモルフォシス)が語源で、変態、変身を意味する。
生物学でいう変態に当たるのがメタモルフォーゼだ。イモムシでは、蝶の形になってさなぎになる時に行う脱皮・変態のことを蛹化という。
私がメタモルフォーゼという言葉に出会ったのは小学生の頃。当時流行していた遊戯王カードで”突然変異”と書いて”メタモルフォーゼ”と読ませるカードがあった。効果は覚えていなかったが、改めて調べてみると、”自分のフィールド上モンスター1体を生け贄に捧げる。生け贄に捧げたモンスターのレベルと同じレベルの融合モンスターを融合デッキから特殊召喚する”という中々のカードだ。現在遊戯王の公式ルール?では禁止カードにされているらしい。中々インパクトのあるカードだ。
このギリシア語を語源に持つ言葉は、metaにはchangeやbeyond(超える)という意味を持ち、morph(e)にはshape(物の形)、form(外形)、kind・type(種類)といった意味を持つ。つまり直訳すると”形を変える”や”種類を変える”といった具合だろうか。
今流行りのメタバースはmeta universeの略語でuniverseには(個々の)世界・領域や全世界、宇宙といった意味があるので領域を超えた世界といった具合であろうか。確かにもう一つの領域でアバターが動いている。
Facebook社も社名をMetaに変更したが、先ほどの語源から来ているのだろう。
今回のニューコンセプトはイモムシ状態のマッスルテスト達に対し、師という”ちょうちょ”と同じ感覚・反応を直接その場で体感することでメタモルフォーゼする橋渡しとなる意味がある様だ。
何事もそうであるが、本物に触れると一種の指標(インディケーター)が出来上がる。立位と座位のマッスルテストのことをインディケーターマッスルテストと称するが、今回の指標となるのは師でまさにインディ”ケイター”である。この言葉遊びはただの偶然か。
野球少年がプロ野球選手のプレーを間近で見れば感動するだろうし、更に間近で手ほどきを受ければより本物を追求するきっかけとなり、感覚が養われるだろう。
問題はイモムシの身の回りに蝶々という本物がおらず、イモムシだけでマッスルテストを練習する場合はどうすればいいのだろうか。指標がいない。
本当に自分のマッスルテストの反応が正しいのか分からない。そんな人同士で練習を続けることは無意味なのだろうか。いや、私は活路を見出せると考える。なぜなら、あらゆる創始者は皆最初はイモムシだったからである。例え未熟でも、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返す。その先に新たな発見や原理原則を見出すことができるのだ。基本に忠実に、数を重ねることで上達にはなる。次に蝶に会う時までにイモムシの集いが続いていると言われてしまっても仕方がないが、知恵を絞ることが出来る。集いの濃度を高めることは出来る。
メタモルフォーゼという言葉を含む曲を調べたら、リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン ー23の独奏弦楽器のための習作(原題:Metamorphosen für 23 Solostreicher)」という曲があった。リヒャルト・シュトラウスと言えば、映画「2001年 宇宙の旅」で有名な「ツァラストラはかく語りき」の作曲家である。「メタモルフォーゼン」は1945年、彼の母国ドイツが敗戦を目の前としている3月に知人の追悼曲をとして書かれたものだ。更にドレスデンが無差別爆撃を受け国立歌劇場が崩壊したり、ベルリンの国立歌劇場も爆撃を受け炎上、その後ウィーン国立歌劇場も爆撃のため瓦礫と化すなど、文化の象徴が数々破壊されていた。彼は既に齢八十を超えており、聴力、視力が減退するなかで書き上げたそうだ。実際に聞いてみると嘆きや哀愁という言葉だけでは収まりきらない、心に響く音の調和がある。
この様な陰極まる状況下でも、一点に光に目を向けることが出来れば状況は変わるのかもしれない。
“meta”、”morph(e)”という言葉には非常に深い示唆が潜んでいる。