おはようございます。
本日の南魚沼は晴れ。ここ数日は朝の快晴が続いており、気持ちの良いお天気です。
昨日は仕事後に、中国茶を飲む機会をいただきました。
お茶を入れて下さったのは、京都で素敵な喫茶をされている方と、陶芸家の方です。
私はこういう場面が初めてでしたので、多少緊張。
陶芸家の方ご自身で作られた茶車や、お二人の茶道具達をセットしていただき、簡易な茶会が始まりました。
正座をしていた所、「足は崩しても大丈夫ですよ」とのこと。胡座にしました。
お湯を沸かす所から始まりまり、お湯が沸く「ぼこぼこぼこ」という音が何とも繊細で上品。
淹れ手のお茶の香りを嗅ぐ動作、急須にお茶の葉を入れる姿、湯呑(表現が正しいのか分かりません)を温めるためにお湯を入れる動き、お茶を渡していただく動き、一つ一つにとても品があり、何とも言えぬ気持ちになりました。
お茶はお茶自身の原産地である雲南省のものや、樹齢が何百年を超えたもの、お茶を微生物発行させた30年もののお茶などをいただきました。
種類での違いはもちろん、1回目、2回目、3回目で淹れていただくお茶にはそれぞれ香りや味に違いがありました。
今回お水として使ったのは、旅館で水道を引いて使っている、大沢山の超軟水。
ここのお水は、お二人とも、同じ茶葉でもいつもと香りの立ち具合が低いとのことでした。
実際にいただいてみると、どのお茶も優しい印象。
本来はもう少しやんちゃで香りがぐっとくるとのことでした。
お二人のお話で印象的だったのは、「同じ茶葉でも、開栓後の経過日数、淹れる器、淹れ手、水、タイミング等様々な要素で味わいや雰囲気が全く変わる」というお話。
つまり同じ茶葉でも少しの要素の違いでお茶の表情ががらりと変わってしまうということ。
更に茶葉に関していえば、朝摘みなのか、日中快晴の中で詰んだのか、雨の中で詰んだのかでも全然違うとのことでした。
お茶は底が見えぬ程奥深い世界なのだなと思いました。
常に感じようとし過ぎるのは息苦しいけれど、自然と深く感じられるような感性、感覚を持っていたい。
そう思う昨晩でした。
貴重な機会をいただき、誠に感謝です。
それでは。