おはようございます。
昨日のお休みは塩沢の鈴木牧之記念館に足を運びました。
鈴木牧之は1837年(天保8年)に江戸で出版されたベストセラー、「北越雪譜」の著者として有名です。
この「北越雪譜」は雪国の暮らしをかなり明細に記している本で、雪の結晶のスケッチから雪国の風俗・暮らし・方言・産業まで、雪国の諸相が、かなり広く詳細な記述があります。「雪国百科事典」ともいうべき資料的価値を持つとも言われている一冊です。
現在もAmazonで購入可能ですし、ドイツ語や英語にも翻訳されて出版されています。
牧之記念館は、その「北越雪譜」にちなんだ雪国の生活ぶりや牧之についての資料が豊富に揃っており、牧之の人となりや当時の雪国の大変さが分かりました。
何故牧之が本書を執筆したかというと、雪国の人々が雪との厳しい闘いに耐えながら生活していること、そして、郷土のそうした生活ぶりを暖国の人々へ知らせたい、という思いが強かったそうです。
現在、インターネットが普及して情報が簡単に手に入る時代です。しかし私でさえ実際に雪国に暮らしてみて驚くことばかりです。
それが江戸時代だったらなおのこと。当時、南魚沼のエリアから江戸までは6,7日かけて歩く距離だったのですから、江戸の人々にとって雪国の生活はなおさら想像の付かない生活であったことだと思います。
当時の暖国の人々は北越雪譜を読んでさぞ驚いたことでしょう。
生活が事細かに記されている良書であることはもちろん、何よりその雪国の衝撃がベストセラーに繋がったのではないでしょうか。
また、展示された中で驚いた一枚の写真がありました。
それは塩沢の牧之通りの道路の部分が丸々雪が2m積もっている写真です。
展示されていた画像とは違いますが、リンクのページ中央にある、この様な写真です。
http://www.city.minamiuonuma.niigata.jp/shisei/keikaku/tosikiban/keikan/1454742371871.html
当時は当然ながら道路の中央分離帯から水が出ることもありませんし、除雪車なんてものもありません。
だから道路にそのまま雪が積もるのです。
そこで役に立つのが雁木です。
雁木とは、軒からひさしを出し、その下を通路とするものです。
http://bit.ly/2sDp3jQ
冬場は道に雪が積もってしまっては通行ができないので、この雁木の下を人が通路として活用をしていたのです。
現在は除雪が機械化されている為、必要性は薄まってしまっているかもしれませんが、当時の人々にとっては不可欠なものだったのだということが分かりました。
こうした事実を知ると、現代の整った社会インフラに対しても感謝の念が自然と湧いてきますね。
色々な地域の気候、風土、文化に触れることで様々な驚きや発見があり、それが自分の視野を広げることにも繋がると感じた一日でした。
行って良かった牧之記念館。
次は「北越雪譜」を読破しようと思います。
それでは。