2つの単語、”physical”と “psychological”。
前者は”身体的に”、後者は”心理的に”である。
語源を調べてみると、psychologicalは”psychology(心理学)”の形容詞系、元を辿ると”魂の研究”を意味する現代ラテン語”psychologia”、更に辿るとギリシャ語で”息、魂、魂”を意味する”psykhē”とギリシャ語で”-の研究”を意味する”logia”を足したものをラテン語化したものが語源とされている。
physicalという単語は中世ラテン語(中世にカトリック教会で文語として用いられた)の”自然の、自然な”という意味の”physicalis”、更に遡るとラテン語の”自然の研究”という意味の”physica”という言葉が語源らしい。
学問的な言葉には”-logy”という言葉が数多くつく。
physiologyは生理学、psychologyは心理学、biologyは生物学、考古学はarcheology、キネシオロジーは英語にするとkinesiologyだ。
“-logy”の語源は先述の通りギリシャ語である。
少しややこしいのは運動学、身体運動学とも訳されているキネシオロジーは人間またはそれ以外の生物の身体の運動の科学的研究を指し、
現在自身が学ぶキネシオロジーは一般には1964年にジョージ・グッドハート博士が開発したアプライドキネシオロジー(Applied Kinesiology)と呼称され、代替医療として分類されている場合が多い。
先日、キネシオロジーを学ぶ者同士で催す会にて指摘されたことがある。
それは私の筋肉反射テストは”とらえ(捕え・捉え)が甘い”とのことだった。
その課題はどう取り組めば良いのか。
物理的にガシッと腕と手を強く掴めば捉えられる様になる?
もちろんそんな単純な話ではない。
強くつかむことや握るといった物理的アプローチは解決方法ではない。
ではなんなのだろう?
その”とらえの甘さ”はどちらかといえば、心理的にとらえが甘いのだ。
心理的なとらえの甘さなるものの根源はどこにあるのだろう?
その人の言葉を借りるならば、それは自身の”在り方”に何かしらの原因があるのだ。
甘さという言葉から私が連想したのは”責任から逃れようとしている”自身の在り方だ。
今までの人生を回想していくと、具体的に何から逃れようとしているかが思い浮かばない。しかしぼやっとではあるが今までの生き方と関連している気がするというのは分かる。
”在り方”は言葉遣いの端々にも現れる。言動は今のわたしそのものだ。
それでは、筋肉反射テストを練習し続ければ”とらえの甘さ”を解決することが出来るのだろうか。
そうは問屋がおろさない。
それは量質転化の様な思考では逃げなのだ。素振りの数だけを単純に増やしても打撃が上達する訳では無いことと同じである。
たかが筋肉反射テスト、されど筋肉反射テストである。
その腕や手を押すという動作の中には自身の”在り方”が内包されているのだ。
つまり単純に見えるその動作で自身がバレてしまう。
師はいう。”自身が整っていなければ人を診ることなどできねえよ”と。
つまり筋肉反射テストの上達の本質は物理的動作や反復運動により改善ではなく、サイコロジカルにどう変わったかが結果として物理的な感覚として相手が受容するのだ。
そんなこんなで、私は宿題を課された。
physicalに、ではなくpsychologicalに変化する。
次回筆(キーボード)をとる時には、どの様な変化があるのだろうか。