不便を体感する必要性

おはようございます。
昨日に新潟に到着し、勤務初日終えました。
初日だけでも学びが多く、これからがとても楽しみになってまいりました。

昨日はMT車についてお話をしましたが、本日はその関連について。
AT車を常用していた人にとって、MT車を運転することは手間が増えて、不便を感じることが多くなるかと思います。

エンジンを掛けて、サイドブレーキを外して、ギアをドライブにして、アクセルを踏めば発進ではなく、
エンジンを掛けて、サイドブレーキを外して、クラッチを踏みながらギアを一速に入れて、半クラッチにしてアクセルを踏みながら発進!という流れです。
更に運転中は常に変速をしたり、一度止まったらもう一度半クラッチにして繋がなければなりません。

そもそも、不便とはどういう意味でしょうか。
調べてみると、

① 便利でないこと。勝手が悪いこと。また,そのさま。
② 都合のつかない・こと(さま)。

とあります。対義語は便利です。

私はこの不便から学ぶことが大きいと思っています。
何故なら不便が分かるからこそ、どうすれば便利になるかが分かり、便利のありがたみを感じることが出来るからです。

私はこの不便の”不”にはプロセスを楽しむということが含まれていると思います。
例えば、今はパスタを電子レンジをチンして食べることができますが、一から作るとなれば、麺を小麦粉からこねて作り、茹でて、ソースを作るというプロセスがあります。これは皆でやれば楽しむことが出来ると思います。

私も様々な便利なものの恩恵を受けていますが、小さな頃から電子レンジでチン!の様な便利だけを経験してしまうと、それが当たり前となり、とにかく簡略化を求める大人になってしまうかもしれません。感謝の気持ちが湧きづらくなってしまうかもしれません。

つまり、便利というのはそのプロセスを排することになりますから、人の退化、極端に言えば堕落に繋がる側面を持っている訳です。

だからこそ、今何を便利にすればいいのか、何を不便のままにして楽しめばいいのか、各自が考えることでより良い世の中になっていくのではないかと思いました。

私もこれからは楽しい不便をたくさん経験して、一手間を楽しめる人間でありたいと思います。

それでは。