俺の、俺の、俺の話を聞け〜

【二十四節気:小満(しょうまん):5/20~6/4頃】
陽気がよくなり草木が成長して茂るという意味。農家では田植えの準備を始める頃。動物や植物にも活気があふれます。また、秋にまいた麦の穂が付くころで安心する(少し満足する)という意味もある。

【七十二候:蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ):5/20~5/25頃】
蚕が桑の葉を盛んに食べだす頃。蚕がつむいだ繭が美しい絹糸になります。

おはようございます。
最近やっと生活のリズムが一定化しつつあり、仕事のリズムも少しずつ整って来ています。

さて、本日のタイトルですが別に私の話を聞いて欲しい訳ではありません。笑
最近人と話をして思うのは、”会話をしていて、かなりの話を自分の話に持っていこうとする人は疲れる”ということです。

例えば、複数人である話題で会話をしているとします。
そうすると、とにかく自分の話題に持っていこうとする人がいます。
”そういえば、オレの後輩はね、〜と関係があるんだよ〜”ですとか、”そう言えば、オレの近所にはね〜”といった具合に、その人の身の回りの人の話にすり替えて自分のペースに持っていこうとする人です。
そのお話が面白ければいいのですが、その会話に参加をしている人からすると”いや、だから何なのですか?”となってしまいます。
また別の人が話の主体となっても、またその人が自分の話題を出して延々と話が止まらなくなってしまう。

そしてそのお話が続くと、周囲の人は”もういいや”となってしまい、その会話の輪から離脱してしまい、その会話は終了するといった構図です。
これは聞いている側が疲れてしまった為、会話から離脱してしまう例です。

また、別の例をお話しましょう。
例えば私が仕事をする上で分からないことがあり、その解を知っていそうな人に質問をするとします。
その人は私の求めていた解答を教えてくれるのですが、そこからその人の話が止まらなくなってしまい、私が随分と長めに聞き役に回ってしまう形で、その話があまりにも話が長く、私が疲れてしまって話をどこで切ろうとしようかと考え始めてしまう形です。

この様に人の話に疲れてしまうのは何故なのでしょうか。
それは、その人に聞く能力が欠如しているからなのではないかと思います。

人の話を聞きながらも、”いつオレの会話のタイミングに持って行こうか”と考えていて人の話を聞いている様で聞いていない状態です。

最近そうした事象で強く感じるのは、人は自分の話を聞いて欲しい生き物だということです。

自分の話を聞いてもらえれば嬉しいし、その話に共感をしてもらえたらもっと嬉しいし、更にその話に対して”凄いね!””偉いね!”と言ってもらえたらもっと嬉しい。
そうなるともう気持ち良くなってしまいます。
そうして知らぬ間にエスカレートしてしまい、自分の話ばかりしてしまうことになってしまうのです。

ですが、ずっと自分の話ばかりしていていいはずがありません。
お互いが話をして、その話を聞いて、理解しようとして、そしてその上で自分の話をする。
ここで会話が成り立つのです。

もし自分の話をしたかったら、まずは相手の話を聞くこと。そして相手の話を相手の目線に立って、相手の気持ちに立って理解しようとすること。
会話はまず自分が話をするのではなく、相手の話を聞くことから始まると思うのです。

私も暴走すると、自分の話をし過ぎてしまうことがあります。
そうならない様に、常に人の話を聞くことを意識して会話をしていこうと思います。

それでは。