感覚で物事を話す

こんばんは。
本日はだいぶ遅い時間帯になってしまいました。

本日は予告と内容を変更をして、感覚で物事を話しをすることについて。

私は基本、物事を感覚で話をすることを避けています。
何故なら、通じないことが多く、ドン引きされる気がすると思うからです。

ただ、時々思わず感覚で話をしても聞き手の人が感覚で理解をしてくれる場合が時々あります。
そのケースは本当に稀です。

本日ブログを書くことが遅くなってしまったのはまさにそのケースで、午後9時頃から話を始めたら止まらなくなってしまい、気付いたらこの時間になっていました。
自分の感覚ただ出まかせに抽象的な話をして、それが通じ合うことはとても気持ちがいいことです。
とてもストレスが発散された感覚になります。

こういう時に感じるのは、私は感覚で物事を話した方が自分らしくあるということです。
これが自分の真の姿なのではないかと感じるのです。
その感覚で話をした内容はくだらないこともあり、全く論理的ではありませんが、何故か自分では的を得ているという確かな感触があります。
とても不思議な感覚です。
また、そういった話をしていると「ああ、そうだ自分はこういうことがしたかったのだな」とふと思い出します。
これはとてもいい時間です。

しかし、誰に対しても感覚だけで物事を話しをしても通じる訳ではありません。
感覚で話が通じ合うのは根底の部分に通ずるものがあったり、何か認識パターンや哲学的な部分が似ている場合です。

だから感覚だけで話をすると、「え、どういうこと?」「ああ、分からなくもないけど、分からない」という解釈をされる場合がほとんどで、時にはその内容が意味不明だったり過激と認識されてしまうと、人からの信頼を失うことにも繋がります。
だからとても気を付けた方がいいことの様に思えます。

しかし、感覚というのは元来自分自身が持ち合わせているもの。
だからそこに自分の芯の部分、本音、夢が隠れていることがあるのです。

だから、分かり合える人と定期的にそういう何も考えずに出まかせで話をすることは大切なことなのだと思います。
思わぬアイデアが生まれたり、新しい自分の部分を発見したり、自分の思考を整理することにも繋がります。

もちろん、話を聞いてくれる方への感謝の気持ちを忘れずに。

それでは。