おはようございます。
現在、私の顔のとびひは中々ひどく、とてもマスクをせずにはいられない状態にまでなってしまいました。
現在のような状態にまで人に見せられない顔になるのは初めてです。
自分の顔を鏡で見るととてもへこみますが、心の平静は保てています。
時々、街中でアトピーで顔が真っ赤な方を見掛けます。そういう方を見て「ああ、大変だな」と思ってはいました。しかしいざ自分が人に見せるのが大変な状態の顔になってみると、そういった方々の気持ちが少し分かった気持ちになります。常に人の痛みに敏感でありたいものです。
私は今の状態になってから、高校時代の骨折を思い出しました。高校時代は野球部に所属しておりました。高校2年の11月。レフトを守っていた私は試合中にスライディングキャッチを試みて足を骨折してしまいました。
その後ボルトを入れる手術をし、2週間は足をつったまま入院、結局野球を出来る様になったのはその翌年の5月でした。
骨折をしている間の期間は本当に不便でしたが、両足で歩けるようになった時の喜びは格別でした。
つまり、人は不便な思いを経験することで、普段何事もなく当たり前に出来ることのありがたみが分かる訳です。
不便を経験することで、普段のありがたみを知ることの出来る例はたくさんあります。例えば、ボットン便所や紙の流せないトイレを経験することで、水洗トイレのありがたみが分かる等。
今回の件で、普段の当たり前に対し、もっとありがたみを持っていようと思いました。
時々意図的な不便を交えつつ。
それでは。