最近私が気付いたこと。
それは食事というのはエネルギー源を補給しているということだ。
何を今更。そんなこと当たり前だろう。
そんな声が聞こえてくる。
私は2019年のある時を境に、2年半もの間グルテンフリー食を続けた。結果、それが直接的原因かは分からないが、調子を崩した。そして痩せた。気力が落ちた。
小麦を摂らなくなったせいではない。我慢をして我慢の反動が別のところに影響を及ぼして、全体の何かを狂わせてしまったからだ。
小麦の摂らなくなるということは、その分他の食物の摂取の割合が増えることになる。空いた穴は何かで埋め合わせをされる。仮に小麦の摂取自体がその人の食物摂取におけるバランスの一部を形成しているとしたら、その人の栄養バランスを崩していることにならないだろうか。
上記の仮説が成り立つのであれば、小麦が多少悪さをしていようとも、小麦を今まで通りの割合で摂取していた方がいいということになる。
私は小麦をやめると決めてからは、その食物を”避ける”ということになる。今まで”頂いて”いたものを”避ける”様になったのだ。
足し算、引き算でいうならば、頂くことは足し算、避けることは引き算だ。単なる言葉遊びかもしれないが、実際に私の体重は減少した。これを二年半、約900日程度続けるとどうだろうか。私の体重は9kg減った。平均すると100日あたりで1kg減った計算になる。
食事や食材に対する考え方は、実際に摂取する栄養素よりも大きな影響を及ぼすのかもしれない。栄養士が作り上げた栄養バランスに則した食事を例に挙げてみよう。
その同じ食事内容をAさんとBさんが毎日食したとしよう。Aさんはその食事を毎日楽しんで食べ続けることが出来た。Bさんは健康の為と思いつつもあまり楽しく食事をすることはなかったとすれば、同じ食事の内容でも精神面での影響が入ってくることだろう。
よく健康に関する書籍や医師が書いた書籍では「ヴィーガンの人はガンになりやすかったり、顔色が悪かったり、肌ツヤの悪い人が多い」という記述を散見する。
小麦と動物性食品は違えど、ウィーガンもグルテンフリーダイエットと同様、特定の食品を”避ける”という観点から見れば同様だ。
それらを行う動機は様々だろう。「肉は体に悪い」かもしれないし、「肉食をやめればCO2削減に貢献することが出来る」という配慮からかもしれない。
どちらにしろ、”引いて”いるという事実は残る。
もしその人が健康面において問題を感じていなかった場合、元々自信が持ち合わせていた食生活における肉という選択肢を引いていくことになる。良くも悪くも自身の栄養摂取バランスは変化する。
逆の考え方をしてみよう。
体に不調を抱える人がグルテンフリー食やヴィーガン食を実践し、体調が改善したとしたらどうだろう。一概には言えないが、小麦や動物性食品が悪影響を及ぼしていた、もしくは過剰摂取によって影響を及ぼしていたといった量的問題かもしれないし、それらのアプローチが心理的に変化を及ぼしたのかもしれない。
つまり身体の栄養バランスも大切であるし、自身のの心の持ち様も関連する可能性がある。
心身一如とはよくいったものだが、どちらが欠けたり過剰であってもいけない訳で、よく当てはまる。
ここまでは引くことのリスクを述べてきたが、もちろんグルテンフリー食やヴィーガン食で健康体を保つ人も数多くいるだろう。
その人達が体調を保つ理由としてはそもそも小麦がその人自身に合っていない、動物性食品を摂取せずとも問題がないという各人の体質的問題に起因するかもしれないし、何か自身の精神面からやってくる確固たる信念に起因しているかもしれない。
もし後者であるのならば、栄養面という物質的観点を超えて精神面がよりバランスの均衡に寄与していることも考えられる。
私は二年半に渡るグルテンフリー食生活をやめた後も思う様に体重が増えずにいて困っていた。食べる量自体は増えているのに。元々人より量は食べるし、食べても食べても体重が増えにくい体ではあった。
しかし最近気付いたことがある。
それは食事中に自身にとっては悪いものを避けようというグルテンフリー食実践期間中に常に意識をしていた”引き算グセ”の思考が残ってしまっていたことだ。
何かを食べながら「これはこういうところが悪いのではないか」「ではこちらの方が無難そうだからこちらにしよう」という感じで食品に対して減点制度を敷いてしまっていたのだ。
いくら食事の量を増やしても、常に「悪いものを避けよう」などと意識が引き算に向いていたら身体も引き算に向かってしまってしまう。
そこで私は食事を”足し算”でいただく意識へと変えることにした。
具体的には、食事を”エネルギーを得る為の行為”という意識に変える様にした。もうその食品に対するリスクの粗探しをやめて、栄養素だけではない見えない”エネルギー”をいただくものだと意識を変えた。実践を始めてから1週間程であるが、毎食自体がいい意味でよりリラックスして過ごせる様になった。
当たり前であるが、常に心配を抱えながら行う食事は心身ともに決して心地良いものではないだろう。
私がグルテンフリー生活から様々なことを学んだ。元々自身の持つバランスをむやみに崩してはならないこと、一人一人の身体には食材の相性があること、食品からの栄養摂取以上に食事に対する心の持ち様が及ぼす影響が大きいということを学んだ。
二年半にわたる引き算によって起こしてしまったことの代償は思いの外大きなものとなってしまったが、同時に重要な気付きをもたらしてくれた。バランスを戻すのは大変だが、一歩一歩着実に取り組んでいこうと思う。