おはようございます。本日はギリシャのロドス島に到着。
夜の18時過ぎまで停泊予定です。今日は比較的ゆっくり出来ます。
さて、本日は久しぶりに野球をメインに据えて。
昨日、「高校野球までしか使えない金属バットに、意味はあるのか?」という記事を読みました。
大まかな内容でいうと、「なぜ高校野球では金属バットを使うのか?」という筆者の方の疑問を深掘りして記事にしたものです。
私も高校では野球をやってきましたが、このことについては「そういうものなのだろう」程度にしか考えてきませんでした。
私がとても共感したのは、下記の部分です。
”木製バットで打つと細やかな感覚が一球一球、身体に伝わる。その無言の手応えこそが、身体に本質的な打撃を叩き込んでくれる。金属で打ったら、打感から学ぶものが少ない。結果しか見えなくなりがちだ。”
仰る通りだと思います。
記事にもありますが、木製バットは金属バットと違い、芯に当たらないと痺れます。特に真冬のピッチングマシンを用いた打撃練習で、竹バットしか使えない時は本当に辛い。芯を外すとものすごい痺れが手にきます。芯を少し外しても飛んでいきます。つまりごまかしが効くのです。
木製バットを使った方が「芯に当てなければ、飛ばない」という意識が働き、一球一球打つにしてもより質の高い練習になるという訳です。
もしプロに行きたいと思う高校生がいたとします。そこでごまかしの利くバットとごまかしの効かないバットを使う3年間どちらを使った方がより良いかは想像がつくと思います。
そう考えると、ボールに触れる量の多い高校野球の3年間を、金属バットを持って過ごすのと、木製バットを持って過ごすのでは、打者としての質が大きく変わって来るように思います。
そこに小中学生のビヨンドマックスときたら、もう笑うしかありません。笑
また、この問題は何故日本人メジャーリーガーの野手はあまり活躍できないのかという問題にも紐づくのではないかと思いました。
メジャーリーグの投手は日本の投手と異なり、素直なストレート(フォーシーム)を投げる投手が少ないです。
動くボールが主流で、微妙に芯を外す投球術が多いです。
もちろん活躍できぬ理由は様々あれど、実際にここに対応できないのが理由ということも仮説として成り立ちます。
これは高校時代に金属バットを使ってきたこととは無関係ではないはずです。
この仮説が成り立つとすれば、高校時代に木製バットの常用が義務付けられていれば、アメリカで活躍できる打者が増えるということになります。
今回の記事を通して、今ある常識を疑う癖は常につけておいた方がいいと感じました。
野球は組織、育成等、本当に課題の多いスポーツです。
今の段階でも世界と渡り合う選手が何人もいます。これらがもっと改善されれば、更にそうした選手が増えると思います。
私は野球に対して色々思う所がありますのでまたブログに書こうと思います。
それでは。