テーブルの上にある味噌汁

筋肉反射テストとインスタント味噌汁

朝、インスタント味噌汁を飲む。
お湯の適量は160mlと記載がある。当然、食べる時にお湯の量を計量したことはない。
特に何も考えずにお湯を注ぐと、”なんとなくこのくらいかな”という所で手が止まる。

そこでふと思った。「自然に注ぐことをやめた量が自身の適量なのではないか?」と。
つまりその手を止めた所が体の欲する量、いい塩梅なのではないかと。

これは無意識の行動であるが、もしかしたら潜在意識が無意識を経由(?)して「ここだ!」と無言の声を発して手を止めさせたのかもしれない。

ここでふと思い出したのは、筋肉反射テスト(以下MT)のことである。
MTは心や体の状態によって身体(筋肉)に力が入る時と力が入らない時があることを応用し、潜在意識からの声を聴くことが出来る。
基本として自身の体の反応を取ってくれるパートナーが必要である。
一人でMTが行えなくとも、「注ぐお湯を無意識に止めたタイミング」の量は、もしかしたらMTで「今の飲むインスタント味噌汁のお湯の適量を教えて」と聞いた量と一致するかもしれない。

仮に上記の量が一致していると仮定して、この量の一致を生み出すには一つ重要なポイントがある。それは、考えながら注がないことだ。
「今の私に必要な量はこれくらいかな〜」、「いや、今は濃い味を欲しているからお湯は少ない方が良いのではないか」などと考えて注いではそれはただ自分の表層的な顕在意識を介している為、心と体の声を反映することは出来ない。

とはいえ、混同してはならない要素がある。それは「中毒」だ。依存性の高いものである。
中毒性のあるものは非常に多い。覚醒剤に代表される違法薬物、マイルドドラッグとも称される糖質、SNSなど枚挙にいとまがない。
これらを一度摂取(閲覧)してしまうと、「無意識」でそれを探し出していたり、手が伸びてしまっていたりする。つまり、「無意識でお湯を注いでいた手が止まっていた」のと「無意識で覚醒剤に手が伸びてしまって」いたというのは、だいぶニュアンスが異なる。

この出来事を通じて、思い出した現象があった。

以前、似た様な内容でブログを書いた。カフェで無意識のうちに一番先にメニューで目に入ったレモネードを注文したという話だ。
一般的に考えればチェーン店で頼むレモネードは多めに砂糖が入っているとの予想がつく。私は白砂糖の入ったものは控える様にしていた為、自然と選択肢からは外れていた。
しかしメニューで一番最初に目が入ったので、試しに頼んでみたところ、案外悪くなく、そのカフェではいい時間を過ごすことが出来た。

その時、何故レモネードが一番最初に目に入ったのか。それはメニューの中では一番欲していたから、最初に無意識にレモネードが最初に目に入った可能性がある。
これは味噌汁を注ぐ時に「手が止まったタイミング」と「一番最初に目に入ったレモネード」現象は同様の「無意識」から生まれたのではないか。
しかし、先述したとおり砂糖には中毒性がある。つまり、「依存」に反応した可能性がある。むむっ、これはどっちなんだ?

その他の例。炭酸水を飲もうと、コップに注いだとしよう。自身はコップ3/4くらいに注ごうとしたが、気付いたら半分注いだ所で辞めてしまっていたとする。
もし、「あれ、もう少し多めに注ごうと思っていたのに!」という状況であれば、これは心と体がコップの半分が適量であった可能性があるということだ。

私はここ数年、考え過ぎが原因で心身のバランスを崩していた。
その時は本当に食べたいものではなく、「今の私にはきっと野菜が必要だ」や、「この治療法、サプリメントが必要なのではないか」と考えて実行することで、更に体や潜在意識の声と逆行して更に体調を悪化させていた。

キネシオロジーを通じて、「なんとなく」や「自然に体がそうしていた」が実は身体や心のバランスを取っていたということに気付いた。

「日常は筋肉反射テストで溢れている」

こんな視点に立つと、筋肉反射テストがより身近な存在になる気がする。