今までの自身のアプローチは、私にはないと考えて、とにかくないものねだりをして見たことのないものや自身に不足しているものを得ようとしていた。
「小さい頃、自分の部屋がなかった」「野球を始めるのが遅かった」「ゴミ屋敷に住んでいた(少し盛った)」などとなかったものをコンプレックスや劣等感にすり替えて過ごしていた。
「だからオレは恵まれていなかった」などと考えていた。
しかし、この「ないない」ループを追い求めた結果、何も残らない可能性が増えることに気が付いた。
「このまま新卒の会社にいたら、ずっと英語を習得する機会がないのではないか」
「このままこの会社にいたら、海外で働くことはないのではないか」
「私にはその知識はない」
勢いでその環境から飛び出していた。
この決断によって、良かったこともあるが、結果として非常に不安定な20代を過ごすことになる。
「このままでいいだろうか」は良く言えば向上心を連想させる。悪く言えば「逃げ」を連想させる。
ないものねだりを続けたら、一生ないものを渇望し続けることになる。
そこで最近、ふと気が付いた。
実は既に「ある」ではないかと。
「ある」ものを探してみよう。
五体満足、様々なスキル、食糧、家族、インフラ、大切な友人、大卒という”学歴”・・。
その程度に差はあれど、比較しなければ何かしらはあるということに気が付いた。
ないものばかり探していると、自己不信に陥るし、劣等感に苛まれる。自身が嫌になる。
多少ならいいが、毎日自分にないものへの見付け方が極端になると、それは心身のバランスを崩すことになるのではないか。
自分にはないと思ってスタートを切ろうとすると、あると思っている時よりも腰が重いし、フットワークが重くなる。
しかし、「私には既にあるじゃないか」と考えると、気分が少し軽くなる。
仕事で「私にはない」ループに陥ると、ゼロからのスタートだらけに感じてしまう。
しかし「私にはある」ループにすれば、イチ以上からののスタートになって腰を上げることが出来る。
だからといって、自分を甘やかしなさいといっている訳ではない。
既にあるものを使って、それを組み合わせて何かを生み出せば良いのではないかということだ。
「知識がない」のではない。その知識が不足しているだけだ。その知識は少しだけ持ち合わせているはずだし、不足しているならばその段階から積み重ねていけば良い。
ないと捉えることは、極度な完璧主義を生み出すかもしれない。
何も一発大当たりを狙うことはない。今あるものを組み合わせて、チャレンジして、試行錯誤して、作り上げれば良い。ありきたりの表現を用いるならば、「塵も積もれば山となる」だ。
ローマは一日にしてならない。ないものをあるにして、ないを減らした結果、ローマになったのではないか。
現代について言及すると、人を「ないない」ループに陥れる仕組みが見事なまでに出来上がっている。
SNSで他者の自慢投稿を見て、「ああ、私にはこれはないな・・」。TVCMもうるさいくらいに「あなたにはこれがないから、これを買いなさい!」と迫ってくる。ファッション雑誌は「今年の流行りはこれなのに、あなたまだ持ってないでしょ?」と囁きかけてくる。
言い換えるならば、他者との比較ループだ。
違う、今あるものに目を向ければ良いのだ。
「今の私には何がある?」「得意技は?」とりあえず頭の中で挙げてみる。
挙げてみても、「ああ、私にはこれしかないのか・・」と消沈するかもしれない。
ではどうすれば良いのか。ないを減らして、あるを増やせば良いのだ。
2011年11月25日、パタゴニア社はニューヨークタイムズ紙に”DON’T BUY THIS JACKET”と書かれた広告を出した。それもブラックフライデー当日に。
広告とは基本的に自社の商品の販売を促進する為に掲載するものである。
しかしパタゴニアは、過剰な消費による地球へのダメージを危惧し、消費者へ自身の購買行動に対する再考を迫った。
この広告を消費行動ではなく、自分自身そのものに置き換えてみたらどうだろう?
「既に自分が持っているもの、あるでしょ? ないものねだりすることないんじゃない?」
「今持ち合わせているものでやりくりしたらどう?」
「さあ、工夫してやってみよう!」
これを「Don’t Buy This Jacket 精神」と名付けることとする。
まずは身の回りに「ある」もの、自身に「ある」ものから取り組んで、「ない」「足らない」と感じたら目標を持って「ない」を「ある」に変えていく。
人生はこのサイクルが永遠に続く。