英語を道具として扱うギリシャのお店

English as a tool を実践する人たち

オンライン英会話講師を始めて数週間が経った。

最初のレッスンは非常に緊張したが、その後は比較的リラックスして、愉しい時間を過ごしている。

私の講師をしているサービスは基本プランが月6,480円で話し放題。人気講師の場合は別途予約が必要で、有料のコインを購入して予約枠を押さえる必要がある。

生徒には色々な人がいる。

子供から高齢者まで、年齢層は幅広く、個性豊かな人達が集う。
当初、子供のレッスンはNGに設定しようと思ったが、話してみるととても楽しい。もちろん、彼ら彼女達は親の意向で行っている場合が多いだろう。発想の豊かさに驚かされる。
そして最近気が付いたのは、私は結構子供が好きで、そして何故か意外と子供から慕われる(なめられていることが多い 苦笑)ことが多いのだ。

先日大学時代の友人宅へ行った際、彼らの3歳の息子さんがいた。彼は”あそぼ”としきりに誘ってくる。プラレールで遊び、私が”ちょっと休憩して良い?”というと、彼は”いいよ”という。しかし数分後にはまた、”あそぼ”である。

そしてその無限ループが繰り返される。
子供が懐いてくれることは、何故だかとても自信になる。
この一連のやりとりも、子供の生徒さんOKにしようと思った要因かもしれない。

話は逸れたが、英会話の生徒さんの語彙や表現の幅には当然差がある。
発音が私より綺麗だが会話に詰まりやすい人、語彙は少なめだが自身の知る単語を器用に組み合わせて滑らかに話す人、既に流暢で私より話せる人(時々いる)、などなど。。

現在のレッスン数は60を越えた程度であるが、なんとなく上達が早い人と少し苦戦する人の違いが見えてきた。詳細は機会があればまとめたいと思うが、一つ感じるのは、英語を道具として使っているかいないかというのは大きいと思う。

“English as a tool”. 直訳するならば、”道具としての英語”だ。つまり、英語をコミュニケーションのツール(道具)として使用している人達だ。

生徒さんの中には、自身の日本語で伝えられることを完璧に訳そうとして、表現を聞いてくる方がいる。例えば、今日の生徒さんであれば、”無謀なことにと伝えるにはどうしたらいいか”ということを聞かれた。私も分からなかった。そこで授業中に辞書で調べると”recklessly”という副詞が近い意味だということが分かった。会話で使ったことのない単語であった。

しかし、使う単語数は少ない人の中には、滑らかにお話をする人が数多くいる。私のイメージだと、その方々はおばちゃんやおばあちゃん世代の方に多い気がする。それも雰囲気から察するに細かいことをあまり気にしなさそうな方々が多い。
そういった方々の心の内を垣間見ることは難しいが、どうやら”無理せず今あるものを組み合わせて話そう”という雰囲気の方が多い様に感じる。

こういった方々を私は勝手に”’English as a tool’ を実践する人達”と名付けることにする。

生徒さんの中には、発音や文法の間違いを気にされる方が多い。言語のルールに則って話す事は良い心掛けかと思うが、あまりにも気にし過ぎて無意識に間違いを恐れて言葉に詰まるケースも散見される。

私の勤務経験から話すと、英語を母語としない方々は細かなミスは気にしない。インド人や台湾人、ヨーロッパの上司はボンボン言葉を発してくる。私が偉そうに言えたものではないが、発音がめちゃくちゃな人も多い。しかしその発音のうまさと仕事の出来る、出来ないは無関係である。伝われば良いという雰囲気がプンプンする。英語をコミュニケーションツールとして割り切っている”English as a tool”の実践者が彼らの中には多いと感じる。

完璧な文法や発音を目指す人を悪いと言いたい訳ではない。しかし、それらを追い求め過ぎて、コミュニケーションの数や機会を失ってしまっては元も子もない。
何故なら、言語にしろ他の物事にしろ、失敗の数は上達の進度に比例するからだ。

まずは思い付きでボンボン話してみる。そこで失敗したらならば、講師に指摘してもらえば良い。
拙い英語でも相手に意図が伝わる喜びは思いの外大きい。
私はそんな喜びの瞬間を得るきっかけを提供出来る様、生徒さんの力になりたい。