開拓日記

2017年4月より開始した、”開拓日記”のブログです。

自分の意見を持ちながら、常に平らな目線を

こんにちは。本日は朝にトルコのチェスメ港に到着し、正午過ぎに出港。夕方過ぎにギリシャのミコノス島へ到着予定です。

先日も述べましたが、8月はトルコのお客様メインのクルーズです。また現在は1割程がイランからのお客様で、館内放送が、英語→トルコ語→ペルシャ語で流れるという中々シュールなシチュエーションです。

私の方はというと、おかげ様で少しずつトルコ語で1から5まで言えるようになりました。笑
(1,2,3,4,5→ビル、イキ、ウチュ、ドルトゥ、ベシュ)

さて、本日は私の考えについて。
私が客船で働くと決めた一つの理由に、「海外と日本の違い、また良い所・悪い所は何なのかを知りたい」という理由がありました。

私は何故かずっと心の中に「日本と海外の違いを知り、それを自分の中で深め、まとめることで、日本の役に立つヒントにしたい」という気持ちがあります。

海外にいると、日本と海外各国の良い所も悪い所もたくさん見つかります。

そこで強く感じるのは、「本来は右も左もないよな」ということです。

世の中には右翼、左翼という言葉があり、どちらかに偏って物事を見る人達がいます。

しかし、今海外で暮らすうちにどちらかに偏って物事を見るのはもったいないことだと感じています。
私も昔は「だから日本の〇〇はダメなんだ」とか少し偏った目線で物事を見てしまいがちでした。

しかしそうした考え方をすると、そこで思考が止まりがちです。あまり良い事はありません。

世の中には良い点、悪い点があるのが当たり前です。しかし、世の中では悪い点を隠して良い点を誇張したり、良い点を知っているのにそこを隠して悪い点を無駄に大きく批判する。そうした動きが世の中を歪ませている側面があるのだなということを感じます。

世の中の人々が(私を含めて)、もっと大きくて広い視点で世の中を見つめられる様になれば、世の中が良くなるのではないかと思います。

そこで私は、自分の意見というものは常に持ちながらも、「これは良くて、これは良くない。だからこの良い点はもっと良くなるように、この良くない点は改善できる様に」という様に、もっと平らな物事の見方が出来る様になれるようになりたいと思います。

それでは。

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なぜ高校野球は金属バットなのか

おはようございます。本日はギリシャのロドス島に到着。
夜の18時過ぎまで停泊予定です。今日は比較的ゆっくり出来ます。

さて、本日は久しぶりに野球をメインに据えて。
昨日、「高校野球までしか使えない金属バットに、意味はあるのか?」という記事を読みました。

大まかな内容でいうと、「なぜ高校野球では金属バットを使うのか?」という筆者の方の疑問を深掘りして記事にしたものです。
私も高校では野球をやってきましたが、このことについては「そういうものなのだろう」程度にしか考えてきませんでした。

私がとても共感したのは、下記の部分です。

”木製バットで打つと細やかな感覚が一球一球、身体に伝わる。その無言の手応えこそが、身体に本質的な打撃を叩き込んでくれる。金属で打ったら、打感から学ぶものが少ない。結果しか見えなくなりがちだ。”

仰る通りだと思います。
記事にもありますが、木製バットは金属バットと違い、芯に当たらないと痺れます。特に真冬のピッチングマシンを用いた打撃練習で、竹バットしか使えない時は本当に辛い。芯を外すとものすごい痺れが手にきます。芯を少し外しても飛んでいきます。つまりごまかしが効くのです。

木製バットを使った方が「芯に当てなければ、飛ばない」という意識が働き、一球一球打つにしてもより質の高い練習になるという訳です。

もしプロに行きたいと思う高校生がいたとします。そこでごまかしの利くバットとごまかしの効かないバットを使う3年間どちらを使った方がより良いかは想像がつくと思います。

そう考えると、ボールに触れる量の多い高校野球の3年間を、金属バットを持って過ごすのと、木製バットを持って過ごすのでは、打者としての質が大きく変わって来るように思います。

そこに小中学生のビヨンドマックスときたら、もう笑うしかありません。笑

また、この問題は何故日本人メジャーリーガーの野手はあまり活躍できないのかという問題にも紐づくのではないかと思いました。

メジャーリーグの投手は日本の投手と異なり、素直なストレート(フォーシーム)を投げる投手が少ないです。
動くボールが主流で、微妙に芯を外す投球術が多いです。

もちろん活躍できぬ理由は様々あれど、実際にここに対応できないのが理由ということも仮説として成り立ちます。

これは高校時代に金属バットを使ってきたこととは無関係ではないはずです。
この仮説が成り立つとすれば、高校時代に木製バットの常用が義務付けられていれば、アメリカで活躍できる打者が増えるということになります。

今回の記事を通して、今ある常識を疑う癖は常につけておいた方がいいと感じました。

野球は組織、育成等、本当に課題の多いスポーツです。
今の段階でも世界と渡り合う選手が何人もいます。これらがもっと改善されれば、更にそうした選手が増えると思います。

私は野球に対して色々思う所がありますのでまたブログに書こうと思います。

それでは。

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育成は、ビジネスだ

おはようございます。本日はギリシャのクレタ島、ソーダ港に到着です。
約一ヶ月ぶりのクレタ島です。

今日の朝、初めて乗客の方に「コップンカー」と声を掛けられました。
私はタイ出身ではありません。

本日はサッカーについて。
私は最近ある記事で本田選手の所属チームであるパチューカのスポーツディレクターの方の言葉が印象に残りました。

それは、「私たちにとって育成は、ビジネスでもあります」という言葉です。

パチューカは育成に大変力を入れており、中学校・高校・大学・大学院まで幅広い年代が通う「パチューカ大学」なるものがあるそうです。

最近ではパチューカの若手の選手がオランダの名門チームに高額な移籍金と共に移籍をしたそうです。

その選手は10代の中頃からパチューカの施設に入り、プロを目指していたそうで、今回の移籍が実現した様です。
つまり金銭的な観点から言うと、パチューカは「自分のチームで育成した選手を、高額な移籍金と共に移籍をすることで、より多くのお金を手にした」ということになります。

私は、「選手を育成し、その選手の移籍金をチームの資金源にする」という考え方はありだなと思いました。

プロサッカーチームでいうと、チームの主な収入源は観客の入場料、スポンサー、ファンクラブやグッズ、ライセンス収入といった所が大部分を占めるかと思います。

そうした収入源と比較すると、育成というのは一定の時間を要するものであると感じます。
しかし育成の成果が出てくると、チームの選手層は厚みを増しますし、ビッグクラブでの移籍が実現すれば、その移籍金が更にチームの資金とすることが出来、よりチームの基盤が強固になる訳です。

そう考えると、育成というのはチームを作る上では欠かせない部分なのだと感じました。

更にパチューカのスポーツディレクターの方は、「今後もパチューカはさらに育成に力を入れて行きます」と言っていました。

現在ビジネスにも力を注いでいる本田選手がパチューカを選んだ理由が少し分かった様な気がします。

それとは対照的に、日本のあの新聞の会社のチームは毎年「選手補強」に精を出し、成功と失敗を行ったり来たり。
何故あそこまで超短期的目線になれるのかが不思議です。

プロ野球チームには下部組織がなくとも、そのチームの育成という面ではもっと投資の割合をあげてチームの基盤を強固にすることが出来るはずです。

「育成は、ビジネスだ」。

面白い言葉をありがとうございます。

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異国でも、言語の上手い下手よりもより信頼が先

おはようございます。本日朝はギリシャのイオス島へ到着。
正午過ぎには出港し、夕方にサントリーニ島へ向かいます。

本日はイオス島にある、私のお気に入りのローカルショップでバクラヴァを昼食に頂こうと思います。

最近はやっと信頼を得つつあるな、と思うことが増えて来ました。
任せてもらえることが増えたり、声を掛けてもらうことが増えたりといった具合です。

以前は上記に挙げた例と逆のことが起きていました。
その為、私は何をするにしても行動が億劫になりがちでした。

とはいえ原因は私にあります。
それは私のリスニング力が低いばかりに大切なことを聞き逃していたり、スムーズなコミュニケーションが取れていなかった等、例をあげればきりがありません。

そうした経験から強く感じているのは、それは「どこへ行っても信頼されることは本当に大切である」ということです。

信頼をされないと、本当に歯痒いです。
「今の自分ならこれは出来る」ということも任せてもらえない、自分の行動を監視してくる等です。

相手からの信頼がなければ、その仕事に対してのスキルが十分に足りていてもその仕事さえ出来ないのです。

それでは、信頼を得る上で大切な要因はなんなのでしょうか。
私はやはり一番は人間性だと思います。それは相手を理解しようとする姿勢であったり、日頃の人との接し方、自分の中にある芯の強さといった部分です。

いくらスキルがあれど、相手に対する敬意が足りていない、相手の信頼を損ねる様な行動をとってしまえば関係は成り立ちません。

そう考えると、結局は言語の上手い下手よりもまずは信頼を得ることが大切になる訳です。
スキルは短期での信頼関係に必須なもの、信頼は長期に渡る関係を築く為に必要なものといった所でしょうか。

結局、どこへ行っても、人としての原理原則は当てはまるなと強く感じています。
しんどいと感じることの方が多いですが、こうして自分のあり方を示してくれる今の環境には本当に感謝をしています。

それでは。

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睡眠不足と食欲

おはようございます。昨日はオンライン環境に身を置くことが出来なかった為、翌日に投稿をしています。

こんばんは。本日は朝にトルコのチェスメ港に到着後、正午過ぎに出港。
19時前にギリシャのミコノス島に到着しました。

本日は夜に投稿をしています。

本日は私の気付きについて。
以前どこかの研究機関のデータで「睡眠不足の人は肥満になりやすい」というデータを見たことがあります。
その記事を見た当時は、きっと「生活リズムが不規則で、食べ過ぎてしまうのだろう」と思っていました。

しかし、最近気付いたのが、「睡眠が不足すると、理性のコントロールがうまくいかなくなる→食べ過ぎてしまうというサイクルが発生し、肥満になりやすくなるのではないか」ということです。

上記の考察は私に当てはまる点です。
私はギリシャに来てから毎日寝る前に日記を書いているのですが、その項目に「食事」という項目があります。
その日記を書いていて気付いたのが、「睡眠が不足すると、食べ過ぎてしまう」という傾向です。

更に順序を追って考えてみました。

①睡眠が不足すると疲労が溜まった状態である
②体の機能が通常よりも正常に機能しない
③その中の機能の一つである理性、感情、欲といった部分のコントロールが効かなくなる
④食欲のコントロールが効かなくなる
⑤食べ過ぎてしまう
⑥太る

上記の様な流れです。

私は腹八分目という言葉を知りながら、「たくさん食べることはいいことだ」と思いながら生きて来ました。
しかし今回の皮膚の問題を機に、食生活を見直し、自分の行動を日記という形で記録をすることで自分の傾向が分かって来ました。

更に毎食を極力満腹という状態から遠ざけることで、頭も体もより良いコンディションになることを実感する様になりました。

こうした経験から、自分の体や傾向を知ることはとても大切だと実感する様になりました。

また、自分の傾向を知ることが出来れば、あらかじめ睡眠不足で過ごす日に対しての適切な過ごし方を考えることが出来ますし、体のサインに対して自分がどうすればいいかも考えることが出来ます。

これを知っていると知っていないとで10年を過ごしたとすると、健康状態にも差が出てくるのは必然かと思います。

私もこれからもっと深く自分の体を知る取り組みを続けたいと思います。

それでは。

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色々な言葉でHow are you?

おはようございます。本日はピレウス港に到着。
本日はピレウスに19時頃まで停泊しますので、比較的ゆっくり出来ます。

ピレウスは私がギリシャに到着してから最初の1週間を滞在した場所。
その為か深い思い入れがあり、とても好きな街です。

本日はピレウス滞在中によく出入りした所を周りながら、楽しもうと思います。

さて、本日は軽めの話題を。
私の働いている船に船の中には推定(?)40もの国籍の人が働いています。

そうすると、それぞれの言葉のHow are you?→Good!がある訳です。

例えば、
スペイン語がComo estas?(コモ エスタス)→Bien(ビエン)
ギリシャ語であればTee Kah-nees?(ティカニス)→Ka-lah(カラ)
トルコ語であればナソスーン?→イイーム

といった具合です。
これをそれぞれの母語の人に対して使うと、中々面白いです。

例えば私が同僚からHow are you?と聞いてきて、私がGood!と答えるとします。
そこで私がその同僚の母語で聞いてみる訳です。例えば、スペイン語が母語の人であれば、先程のComo estas?を使って聞いてみる訳です。そうすると、How are youで聞くよりも嬉しそうなリアクションでBienと言ってくれます。

面白いのは、段々このやり取りが慣れてくるとある一定の人は「日本語でHow are you?は何ていうの?」と聞いてくれます。
そこで私は「元気ですか?(Gen-ki desu-ka?)→元気です(Gen-ki desu)」を教えます。

そうすると次回から、「相手:Gen-ki desu-ka?→私:Gen-ki desu!」→「私:Como estas?→相手:Bien!」というやり取りにやなる訳です。
そこには英語が介在しません。

ちょっとずつ会話が進化(?)してくる訳ですね。
ちなみに余談ですが、私が出来るHow are you?→Good!はスペイン語、ギリシャ語、トルコ語、フランス語、中国語、イタリア語です。

私はただ面白いからやっているだけですが、これをすることで相手とよりいい関係を築く一助にもなっているなと感じています。
相手を理解しようとする姿勢が大事ということを教えてくれている様です。

これからも遊び心を大切にしながら、少しずつ言語の幅を広げていければいいなと思っています。
それでは。

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自分なりのチップの使い方

おはようございます。本日の朝はギリシャのミロス島に到着し、午後には出港します。
そして夜8時過ぎにギリシャのシロス島へ到着し、日をまたいだ後に出港です。
明日の寄港地はギリシャのピレウス港です。

さて、本日はチップについて。
最近、自分なりにチップの使い方が少しずつ分かってきました。

チップという言葉を辞書で調べてみると、「 サービス業の従業員に客が与える,料金以外の金。祝儀。心づけ。」と出てきます。

特にイギリスやアメリカだと、「人の奉仕(service)に対してチップを渡す習慣がある」様です。

チップはあまり日本では馴染みがない習慣かと思います。私もギリシャへ来るまではチップに関する経験がありませんでした。
私のチップとの初めての出会いは、トルコのチェスメ港でのこと。
トルコ出身のお年寄りの2人組のお客様は、チェスメで最終下船をされます。

そこで大きな荷物を船の外から港のターミナル(建物)まで運ばなければいけません。距離にして300m程。道は平らです。
その方々には少し重そうでした。そこで私がターミナルまで運ぶのを手伝うことにしました。

運び終わった後、私はお礼として5€のチップを頂きました。
私は、「いえいえ、私はただ運んだだけですから頂けません」という様なジェスチャーをしましたが、お客様側は「いいからいいから、ありがとう」と言って手渡してくれました。

私はそれ以来、チップに関する経験をすることがあります。
他に例を挙げると、タクシーまで荷物を運んであげてチップを頂いた経験ですとか、ブルガリア人のお客様とカフェへ行った際に、一緒にカフェを切り盛りしていた小さな女の子に対してチップをあげたりといった場面です。

そうしたチップに関する経験から、自然と使い方が分かってきました。

私がどの様にチップを使っているのでしょうか。
例えば、カフェの中。
カフェでWiFiを使う為だけに入店して、そこで一番安い水を注文するとします。
そうすると、トルコだと日本円にして40円くらい、ギリシャだと80円〜300円程です。

例えばそこで長時間居座って、しかもLINEの電話で日本にいる友達や家族と話をしていると、「水しか注文していないのに、こんなに長く居座ってしまっては申し訳ないな」と思う訳です。

そんな時は、「ありがとう」の気持ちを込めてチップを渡します。
私の場合は、「お釣りはいらないよ」と言って多めに支払います。

つまり、私なりの解釈でいうと、「チップとは、自分の気持ちである」ということです。

上記の挙げた例以外にも、いいサービスを受けて感動をした時、感謝の気持ちを表したい時等、自分の心の中から湧いてきた感情に従えばいいのだと思います。

そのお金は自分が素直に「渡したい」と思ったお金であるから、私自身も気持ちがいいし、相手も感謝の念を受け取る訳ですから、気持ちがいい。
つまり、チップとはWIN-WINの関係であると私は思います。

日本に帰ってからも、気持ち良くチップを使える人でありたいと思います。

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正しい国際理解は、調べる、話す、行くが基本

こんにちは。
昨日はオンラインにいることが出来ず、昨日の分を投稿致します。

本日は朝にトルコのチェスメ港に到着。
正午過ぎには出港し、ただいまギリシャ・ミコノス島への航路の真っ只中。
19時頃に到着予定です。

さて、本日から航路が変更され、乗客のほとんどがトルコ国籍のお客様というクルーズになりました。
がしかしその中の1,2割がイラン国籍の方々であることが分かり、急遽様々な対応に追われることに。
当日になって実はこういう事実があった→現場(クルー)が少しだけバタバタする
という構図は結構あるあるですね。
本社の情報共有不足が原因と思われます。

さて、本日はそんなイランについて。
イランは中東に位置する国です。
私は中東にある国はみんなアラビア語が公用語かと思っていましたが、イランはペルシャ語です。
ペルシャというのはイランの旧称なのですね(1935年にペルシャから改称)。
恥ずかしながら両方とも知りませんでした。

私はペルシャといえば、絨毯がイメージされます。
また、イラン人のことは、英語でイラニアンと言います(Iranian)。かっこいい響きです。

私が最近感じるのは、もしそれぞれの国の方々との関わりがある際は、最低限のその国の理解があると良いということです。
私なりの今の所の最低限とは、宗教・母語といった部分です。

また、英語で「〜の(日本でいうJapanese)」のという単語を知っていると中々いいです。
その国の英語名と「〜の」の呼称に大きなギャップがあることが多いのですね。
例えばイラン(人)のという単語は先述した通りIranian、ノルウェーであればNorwegian(ノルウェージャン)、スウェーデンであればSwedish(スウェディッシュ)と国によって中々トリッキーな変化をしてくる訳です。

こうした言葉がスッと出てくる、出て来ないの差は自分の中では大きいと思います。

少し話が逸れましたが、正しい国際理解の基本は今の所3つあると感じています。
それは、調べる、話す、行くです。

今の時代はインターネットがありますので、インターネットを用いて調べればその国の情報が手に入ります。

また、その国に行ったことのある・住んだことのある人、その国の出身の人と話すことが出来ればよりリアルな情報を手に入れることが出来ます。

その国に行けば、よりリアルを感じることが出来ますし、話をするだけでリアルな情報が手に入ります。
イメージと実際の雰囲気というのは異なるものです。

つまり基本の中でも最も早く、より多くのことを感じられるものは「行く」ということになります。
Google ストリートビューも、VRもリアルには勝てません。

私自身も常にリアルを大切にする人でありたいと思っています。

それでは。

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英語名を漢字で書く際のポイント

おはようございます。本日はラブリオン港に到着。
明日から航路が変更になります。

その為、全ての乗客の方々が下船され、明日からのクルーズに備えます。
本日は午後はオフなので、どこかへ行こうと思います。

本日は、漢字について。
ギリシャに来てから、定期的に「自分の名前を漢字で書いて!」という方がいらっしゃいます。
そして書いてその人にプレゼントすると、とても喜んでくれます。

その為、例えば私がお世話になった方にはちょっとしたお土産として、筆ペンでその人の名前を漢字の当て字で書いてプレゼントします。

今回はその人の名前を漢字で書く際、心掛けているポイントをお伝えしたいと思います。

①自分の子供の名前を考える様な気持ちで。
②その人のイメージに当てはまる様に書く
③その言葉が思い浮かばなければ、携帯電話の変換機能で漢字を探す
④もし、その漢字を日本人が見た時に男女どちらの名前か分かる様に書く。
⑤悪い字は使わない

それぞれ掘り下げてみましょう。
①について。
書く際の土台となるのは、自分自身の気持ちです。
大げさな表現かもしれませんが、これくらいの気持ちで書くとより良い名前に出来ると思います。

②について。
その人にあったイメージを組み合わせることでより完成度の高い名前になります。
例えば、たくましいイメージを持つ人であれば、「武」といった漢字が使えますし、よりエレガントなイメージがある方なら「麗」と言った字を使うことが出来ます。

③について。
私は出来る限り浮かんだイメージで書く様にしていますが、浮かばない場合は携帯電話の変換機能を活用してちょうど良い漢字を探す様にしています。
そうすることでよりベストな字を見つけることが出来、次回以降に活用することが出来ます。

④について。何故ここにこだわるかというと、もし名前を書いてあげた人が、別の日本人に対して自分のつけた名前を見て、明らかにおかしいと思われるのは恥ずかしいと思うからです。
そして単純に考えて、通常男の人に対して使う漢字を女性に使ったら失礼だと思うからです。
例えば、男性に「華」を使ったり、女性に「郎」を使うなどです(女郎という言葉がありますが)。
最大限の敬意を払って書くことが大切だと思います。

⑤について。こちらもしっかりと押さえておきたいポイントです。
例えば、その人の名前に「悪」「腐」「霊」といった字が入っていたらどうでしょうか。
日本人から見たら少し不気味です。
どう考えても失礼だと思うからです。

まずは最低限上記のことを守って書くと気持ちのいいプレゼントになると思います。

たかが当て字、されど当て字。

何事も、誠意が大切です。それでは。

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リアクションは自分で決められる

おはようございます。本日はギリシャのイオス島に到着し、14時過ぎには出港。16時過ぎにギリシャのサントリーニ島へ向かいます。

本日はリアクションについて。
私の同僚がFacebookを眺めていました。そこで私に対してある一つの投稿にあったコメントを私に見せてきました。そこには「嬉しい気持ち、悲しい気持ちは自分次第で決められる」といった趣旨の言葉が書かれていました。

私はこれを見て、「あ、そういえばそうだったな」と思いました。7つの習慣の第1章にある引用を思い出したからです。
それは、オーストリアの精神科医・心理学者のヴィクトール・フランクルが第二次世界大戦時にナチスドイツのユダヤ人強制収用所に収監されていた時、「何が起ころうとも、それが自分に与える影響に自分自身の中で選択することができる」という発見をしたという一節です。
(これは生きる上ではとても重要なことだと思いますので、もし気になる方がいれば是非読んでみて下さい)

これを思い出した瞬間、「私ももっとこの言葉を活用出来るな」と思いました。

まず第一は仕事です。
あまり詳しいことは書けませんが、私はマネージャーに対して、畏れの感情を持って接しています。

ですがヴィクトール・フランクルの発見を持ってすれば、別に畏れの感情を持つ、持たないは自分で決められるのです。

畏れの感情を持っていると、例えば遠目に見掛けたとしても、別の道を通って避けようとしたり、話をする時少し挙動不審な雰囲気を出してしまったりといい事がありません。
コミュニケーションの数は減り、うまくいかず悪循環に陥るだけです。

しかしもし親しみや尊敬の感情を持っていたらどうでしょう。
積極的な挨拶をするでしょうし、話をする時も自然と楽しい雰囲気が出せると思います。

つまり私は自ら畏れの感情を出してしまっている訳です。

そこで何故畏れの感情を出しているのかを考えました。
そうすると、それは以前の失敗だったり、経験が影響していることが分かりました。

しかしそれを別に引きずればいいのかというと、そうでもありません。
別に畏れの感情を持つ必要はないなという結論に至りました。

という訳で本日から親しみと尊敬の念を持って接することとします。

意外と身の回りにこういうことってたくさんあると思います。
そんなに嫌いになる必要もないのに、不必要に嫌いになったりですとか、無理に距離を取り過ぎてしまっていたりですとか。

私は自分自身を振り返って、とてもそういったことが多いと感じました。

という訳で、「自分に与える影響に自分自身の中で選択することができる」という言葉を意識して生活をしていきます。

それでは。

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