立山の雄山神社から見た景色

発想を変えんねん

私がキネシオロジーを学ぶ中で師ともう一人、この人には育ててもらっているなあと感じる人がいる。
彼は事あるごとに「発想を変えんねん」と言う。発想を変えるとは言うが、一体どこをどうすればええねん?ただ、キネシオロジー1年ちょっと続けてきて、やっと言葉の核心が分かってきた様な気がする。

ペアで行う、いわゆるセッション練習を行なっていると、度々詰まる場面に遭遇する。いかん、壁にぶつかった。どうすれば良いのだろう・・。そんな時は一呼吸置いて休みましょう。落ち着いたら再開だ。こんな時は発想を変えてみよう。今までの枠に捉われることなく、視点を変えてみよう。
筋肉反射テストで確認をする。ここじゃない、ここでもない、むむっ、この観点か?おっどうやらそうらしいぞ。一筋の光が差してきた。見方を変えたら思わぬ所に突破口を見出した。

先日私が取り上げた食事の話も同様だ。「悪いものをなるべく避けて食べる」ことと「エネルギーを得る為に食べる」こと。100日間、それぞれの意識で食事をしたら体へ及ぼす影響は大きく異なるだろう。日頃食べ過ぎで太ってしまっている人は前者でいいかもしれないし、日頃食事に神経を使い過ぎて訳もなく痩せている人は後者の意識で食事をした方がいいかもしれない。これもある発想の違いで食事をしていることになる。

発想を変えると言うのは英会話に置いても必要なことだ。
例えば「野菜を週5回食べている」と英語で言おうとしたが言えないとする。
正確に言うならば、”I have vegetables 5 times a week.”であるが、別にわざわざ週5回を持ち出さなくても、”I usually have vegetables.”にしても完璧な表現ではないが誤ってはいない。
「この表現はうまく言えないけれど、代わりに自分の知っている単語や表現で伝えるにはどうすれば良いのだろう?」
これは発想を転換して言い換えていると言えるだろう。
英語を学んでいると、「あ、こんなに簡単に言い換えられるのね」と思う場面に遭遇する。そんなに難しく考える必要はないねん。

これは発想を変えるトレーニングになると思う。
教科書通りや特定のフレーズ通りに言わなくても良いのだ。
人は思った以上に固定観念に囚われ、同じ行動パターンを繰り返しているものだと実感する。仕事では繰り返しのルーティンワークが発生しても仕方がないが、OFFの時間は行ったことなかった場所やレストランに足を運んでみたり、普段は聞かないアーティストの曲を聴いてみるなど今まで未経験だったことを体験することは発想の転換をする上で役に立つことだろう。
「あ、これとこれって似てるかもな」「すごい!世の中にはこんなことをしている人がいるのか」と感じるだけでも新たな発想を手に入れている。また、漠然と無意識下で思っていた点と点が急に結びついて線になることもあるだろう。

私の好きな言葉に、”直ぐ役に立つ本は直ぐ役に立たなくなる本 であるといへる。”という言葉がある。これは慶應大学元塾長であった小泉信三が自身の著書「読書論」で述べた言葉である。更に氏は同大学の工学部長であった谷村豊太郎が述べた”すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ”という言葉も引用している。

彼が言った「発想を変えんねん」という言葉は単純な様で奥深い。もしすぐに分かっていたら、すぐに役に立たなくなっていたかもしれないが、幸い肚に落ちるまでに時間を要した。

キネシオロジー然り、本物の何かを会得するには万物がそうである様に、多大な時間を要するものだ。
ここはひとつ、長い時間軸に身を置いて物事に取り組みたいものだ。