おはようございます。本日の朝はトルコのクサダシに到着しました。
正午過ぎには出港し、ギリシャのサモス島へ向かいます。
本日、クサダシ港にはフランスのクルーズ船会社である、PONANT(ポナン)のクルーズ船も寄港しています。→こちら
私達の船より小さく、とても上品な雰囲気が印象的です。
私にとっては寄港地で他社のクルーズ船を見かけることも楽しみの一つ。
特に初めて見る船に会えた時の喜びは大きいです。
「どんな客層が多いのか?」「クルーはどの国籍の人が多いのか」等と考えることはとても面白いです。
本日は英語について。
一昨日のブログにも書かせて頂きましたが、ギリシャに来た当初、私は会話の際「これはこう言って・・」「ここはこうやって表現すればいいのかな?」といった具合に考えていました。
それが段々なくなり、今ではだいぶ無意識に話せる様になってきたという旨を書きました。
無意識で話す為のポイントは、もう一つあると思います。
それは、「詰め込み過ぎないこと」です。
具体的には、「自分の話す一文に全てを凝縮する」のではなく、「なるべく短い文字数で伝えようとする」様にすることです。
具体例を出して解説します。船の中の電話で「オフィスに向かってるよ」という表現を使うとします。
私の場合だと、”I’m coming”と言います。
以前の私だと、「しっかりと伝えなきゃ」「より正確に表現しよう」という意識が働いて、”I’m coming”にプラスして”I’m coming to the office.”と言おうとしていました。
しかし、会話の中では「今向かってるよ」という表現の中には既に「どこへ行く」という表現は含まれており、”to the office”を使う必要がありません。
より正確に伝えようとし過ぎると、私のレベルだと一文がスムーズに出てこないこともしばしば。
「より簡潔に伝えよう」と意識をすることで相手にはより分かりやすく伝えることが出来ます。
自分の場合、簡潔に伝えることを繰り返す→その表現に慣れてくる→少しずつ表現に幅が出て来るというステップを踏んで来ている実感があります。
私は感じていることがあります。
しかしこの、「より正確に」とか「凝縮ようとしてしまう癖」は日本の英語教育が少なからず影響している様に思います。
それはスピーキングのボリュームが極端に少ないのに、文法はきっちり叩き込まれるという点です。
会話を練習していないのに、文法の知識が無駄に多い為に出だしに苦労してしまう様に感じます。
知り過ぎているから出だしに苦労する、とでも言えばいいでしょうか。
これがもし、そこまで文法・単語の知識が少なければどうでしょう。
逆に自分のある知識で文章を組み立てようとする意識が働く様に思います。
非常にもったいないことです。
私も普段の会話でそこまで簡単な単語や会話、文法で事足ります。
その場に身を置いていると段々と会話や使う単語の傾向はそこまで多くないことに気付きます。
現時点での私の理想的な英語の学び方を言語化すると、以下の2点が思い浮かびます。
・実践を通じて「自分には何が必要か」を身を持って体感しながら主体的に学ぶ。
・より自然な形でより多く英語に触れ、より速くたくさん間違える!
自分の持っている知識を最大限に絞り出して、出来るだけ簡潔に分かりやすく組み合わせてあげること。
今の私はそんなイメージで会話をしています。
それでは。