味噌汁とお椀

足るを知るキネシオロジー

キネシオロジーを学んでいると、今必要なものは思ったよりも自身の近くにあることを教えてくれる。
例えば、食べもの。家の中で筋肉反射テストをとってみよう。「今日の昼食で食べた方がいいものを教えて!!」と聞いたとする。自宅の中にある食材が反応することが多い。ないい倍は近所の飲食店のあのメニューかもしれないし、スーパーにある食材を買い足して家で何かを作るかもしれない。いずれにしろ、私の経験だと自身の近くにある何かが反応する確率が高い。

実は、無理してオーガニック食品を取り寄せなくても、こだわりのあの食材を手に入れなくてもいいのかもしれない。近所の農家のおばちゃんが無人で売っているその野菜かもしれないし、家の近くにあるお肉屋さんの牛肉かもしれない。筋肉反射テストで聞いてみると「あれ、こんな身近なものでいいの?!」と拍子抜けしてしまうことが多々ある。そうか、必要なものがあるからそこに住んでいるのか。
大事なのはその”食材”なのではなく、自身に必要なものは何かを知る、つまり自分を知ることなのだ。

キネシオロジーセッションに於いても然り。
修正反応が何か出たとしよう。何か特別な技能が必要なのかな、なんて思っていたら、そこにあるコーヒーを飲むことが修正であったりする。キネシオロジーそのものが「無理して背伸びしなくてもいいんだよ」なんて語りかけてきている様な気さえする。裏を返せば、そのメッセージは「基本に忠実でありなさい」と述べている様な気がしなくもない。

といった具合にキネシオロジーというものを介すると中々面白いが伝わってくる。
世の中に目を向けてみよう。世間を賑わせているニュースだって、元を辿れば必要以上の欲望に目が眩んでしまったが故に起きてしまったことが記事になっていることが多い。儲けることができるから戦争をするのだし、自身の領土を拡げたいから人を殺す。
あの少年愛おじさんは自身の性癖からくる欲望を追求し続けてしまったが故に騒がれているニュースの一つだ。歪んだ組織構造を築き上げた当人は死後になってから懺悔する時を迎えた。この事務所はどことなくヴァチカンの聖職者達と似ている。

大企業にも目を向けてみよう。その会社はそんな急に大きくする必要があったのだろうか。目の前の株価に目が眩んでしまったのだろうか。タイミングをみて、ゆっくりと大きくすれば永く繁栄する組織となり得たのかもしれないのに。
これらは皆、必要以上の欲望を追求したが故の結果だ。
何も遠い世間だけではなく、私たちの身の回りにも過剰な情報や誘惑といった形で欲望の沼が蠢いているではないか。そんな時はゆっくりと一呼吸。ペアを食うんで筋肉の声を聞いてみようじゃないか。何が出るかはお楽しみ。足るを知るを楽しもう。