言語

言語に関する考察を綴ります。

教えることは教わること

天橋立傘松公園から見た天橋立

教えることは教わることだと思っている。
教えることによって気づきを得て、学びが深まる。更に教えることによって深まった知見が教えるという行為の質として還元される。そんなサイクルがある。

私もオンライン英会話講師になって、教えることは教わることだと再認識している。生徒さんから教わることは多い。例えば小学生の柔らかい発想に触れると「そうか、こんな言い回しがあるのか」といった所感や彼らが純粋に感じたままで授業に向き合う姿を見て私が「もっと感じたことそのままを言葉にすればいいのか」と逆に感化されることもある。こういうことが多々あると、とても「オレが教えてやっているんだぞ」という一方向だけの考え方にはならない。
特にこの一方向は学生スポーツの指導者にまだまだ多い様な気がする。私が野球という道を歩んできたからかもしれないが。

10代前半のNY在住の男の子は私よりも全然発音がいい。彼は少しけだるそうな雰囲気でにレッスンを受けているが、クールな感じでいつもシンプルな表現をしている。その度に私は「こういう言い方をすればいいのか」と学んでいる。私は生徒なのだ。レッスン後は彼の発音が良いからなのかは分からないが、次のレッスンでの私の発音が良くなった気がする。これは恐らくプラシーボ効果ではなく、実際に良くなっている。これはレッスン前にネイティヴの発音(映画、YouTube、スポーツ中継などなんでも)を聞くとその直後自身のスピーキングの発音が良くなった気がすることと同じである。
つまり私は生徒さんから学習している。

積み重なる成功体験も貴重な学びである。
ある外資系企業に勤める生徒さんは使える単語は多いのだが、正確に伝えようとしすぎてしまい、どこか単語の使い方がぎこちなく、度々詰まってしまうことがよくあった。
これはよく日本人の生徒さんにあるパターンである。
そこで私は「十分にお話するだけの単語をご存知ですし、言いたいことは伝わっています。もっと口から出まかせぐらいの気持ちで話しましょう」と幾度か伝えた。その方はほぼ毎日受講してくれて、1週間程すると当初の力みが取れて、簡単な表現で言葉の詰まりがだいぶ取れてきた。2週間程するとだいぶ会話にリズムが生まれる様になった。これは一種の成功体験である。「このような方には口から出まかせで適当に喋ってもらうくらいがいいのだな」という知見が蓄積される。

最近誕生日を迎えた男の子はプレゼントに包丁を買ってもらったそうだ。既にマイ包丁をいくつか持っているほど包丁が好きだそうで、ある日私は生徒となって包丁の種類について教えてもらうことになった。まずは包丁の種類について教えてもらう。お互い同じウェブサイトを開いて、それぞれの違いについて教えてもらう。「牛刀ってなに?」と聞くと「これは片刃包丁で、〜が特徴で〜」といった具合に図を見ただけでは分からない特徴を教えてくれる。しかも、牛刀でも刺身を切るのには割合適している、といった食材に対する包丁の持つ互換性まで把握している。とても分かりやすい解説に私は感心してしまった。

また、時々私よりレベルの高い生徒さんがやってくる。正直、なぜまだオンライン英会話で学んでいるのかがよく分からないぐらい英会話の上手い方である。当初はこちらが戸惑いながらレッスンを進めるのだが、最近は開き直ってお互いが楽しめる様な雰囲気づくりに努めるようにした。
それでも低評価をつけられてしまったら仕方がない。そうした方々との経験を積むことで、次回同じ状況が来ても段々動じなくなる。これも生徒さんから教わる、ということなのだろうか。

教わるというのは、生徒の立場で先生から学ぶこともあれば、先生側から生徒に学ぶこともある。また、ふとした瞬間に気づく学びもあれば、経験の蓄積から得られる学びもある。けっして一方向だけではなく、双方向であり、多方向でもあり、突然降ってきたりもする。
教えることはアウトプットのように見えて、インプットでもある。教わることはインプットのように見えて、アウトプットでもある。

どちらの立場にいても基本は変わらない。礼節をわきまえ、相手に敬意をはらうこと。確かな姿勢があればお互いに有益な時を過ごすことが出来る。

教えることは教わること Read More »

ネイティヴスピーカーと話すメリット

ギリシャのミロス島にあるミロのヴィーナス返還運動のポスター

オンライン英会話サービスには様々な国籍の講師がいる。アメリカやイギリスはもちろん、ヨーロッパ、アフリカ、中南米、アジアと英語を母語としない講師が多数在籍している。特に非英語圏の国々で多いのはフィリピンとセルビアの講師だ。彼らの英語はいわゆるネイティヴスピーカーよりも聞き取りやすいので学習歴の浅い方々、いわゆる初心者・初級者に易しく、適していると言えるだろう。ネイティヴスピーカーというのはある言語を母国語として話す人のことで、今回は英語を母国語として話す人のことをネイティヴスピーカーと呼ぶ。
オンラインの英会話サービスを使ったことのある方なら分かるかと思うが、非ネイティヴスピーカーの講師のみ受講できるプランの方が安く受講出来る。事実、私が講師を務めるサービスはネイティヴスピーカー講師を受講出来るプランはそのプランよりも3倍程度高い設定になっている。それは各国の平均賃金や物価が多分に関係しているし、だからこそオンライン英会話サービスを提供する各社は格安の料金を実現している。

私はある程度簡単な表現で伝えられる様になったら、ネイティヴスピーカーの講師をおすすめしたい。なぜならその人達そのものが”生きた教科書・辞書”だからであり、その生きた教科書と話すことで習得速度が高まると考えるからだ。英語を母国語として、また母語として育ってきたということはその人の感覚そのものが英語であると。表現や動詞、熟語の使い方が自然なのだ。対してセルビアやフィリピンの先生方の母国語は一般にセルビア語、タガログ語であり、彼らが英語の講師を務める場合は第二言語以降として英語を学ぶことになる。熟語や単語などの表現は後々”学んで”身につけたものであってまずはセルビア語やタガログ語から英語を学ぶ訳である。つまり元々の感覚に備わっているものではないと言える。私の場合は日本語から英語を学んだのと同様に。

何が言いたいのかというと、ネイティヴスピーカー達と話すことは英語そのものの感覚を磨くことに繋がるし、より自然な熟語の使い方や発音を学ぶことができるのだ。そういったセンスや言葉に出てこない非言語の要素を加味すると、ネイティヴスピーカーとの会話の方が圧倒的な情報量が内包されていることになる。話をしているだけで、「あ、こんな簡単な表現で伝わるのか」「getという動詞だけでもこんなに幅広い表現ができるのか」といった具合に無意識で学びとることが出来る。当然英語を第一言語とする話者の方が語彙の多さも圧倒的である。だから「この表現はどう言えばいいの?」ネイティヴスピーカーに聞く方が様々な表現を教えてくれるし、状況に応じた適切な表現を教えてくれるだろう。

何もこれは英語に限ったことではなく、例えば日本語学習歴4年のベトナムの方に日本語を学ぶよりも、日本人から日本語を学ぶ方が学びは多いだろう。逆もまた然りである。

だからこそ、いきなりとは言わずとも慣れてきたらネイティヴスピーカー講師を選んで学ぶことをお勧めしたい。会話を通じ、実は言語学習とは非言語面からも多くを学んでいるのだと気付くはずだ。

ある人は投資で一番利回りがよく、確実にリターンを得られるのは自己投資であると説く。そうであれば例え3倍近い料金を支払ってでも英語を第一言語とする話者を選んでみよう。
3倍とはいえ、駅前留学に代表される対面レッスンと比較すれば、オンライン英会話の価格はたかがしれている。

ネイティヴスピーカーと話すメリット Read More »

英会話上達における心得

セレスティアル・クルーズのセレスティアル・ネフェリ号

タイトルは仰々しいが、私も英語がペラペラではない。長期留学をせずに20代前半から英語を学び一応英語を使う仕事にまでこぎつけた人の話だと思って読んでいただきたい。
講師を務めるオンライン英会話サービスでは、初めてレッスンを受けられる方も多数いる。
その際には学ぶ時に大切なことをいくつかお伝えすることもある。まずよく聞かれるのはどんな教材を使えばいいかという質問だ。これは本人の英語を学ぶ目的もそうだし、自身の教材の相性にもよるので一概には言えないと伝えている。
英語上達において大切なのは継続である。経験上、残念ながら続けるほかない。教材を選ぶ際にまずは自分がピンときたものや「これが良さそうだ」「これなら続けられそうだ」というものを選ぶのが良い。答えは先生のアドバイスにあるのではなく、常に自分の中にある。

また、日常において英語に触れる時間があると尚良い。英語の技能はSpeaking, Writing, Listening, Readingの4つに大別される。学ぶ方によって重視する技能は異なる。
仕事では英文メールやり取りや書類を読むことが中心の方であれば、わざわざオンラインレッスンを取る必要はないかもしれない。日常で自分の好きな話題や趣味に関連する記事を読んだり、良質な英文ニュース(BBCニュースなど)を読むだけでReadingの向上になるし、仕事での英文メールのやり取りを続けるだけでもWritingの向上に一役買うだろう。
逆に仕事で急に英会話が必要な方は話す量を増やすことが優先となるので、オンライン英会話レッスンを日常に組み入れることは有効だ。

次のポイント。それは英語を英語で学ぶことだ。英語に触れている時やレッスン中は日本語に触れる時間は少なければ少ない程良い。会話をする時であれば日本語を介する時間をなるべく短くする。もちろんいきなり英語を英語で話せと言われるのは酷な話である。そこで私が常々生徒さんには「まずは口から出まかせぐらいの気持ちで話してみましょう」と伝えている。まずは単語だけで繋げて話をしてみても良いし、自分の知っている簡単な形、例えば”I want to ~”といった表現を多用するでも良い。また、映画を観ていると分かるが実は簡単な表現が会話の多数を占めている場合が多い。

私達が日本語を話す時を思い浮かべて欲しい。日常会話であればあまり考えずに話していることが分かると思う。つまり英会話中もあの状態に近づけることが上達におけるコツで、考えずに話すにはどうすれば良いかという観点で練習することは非常に大切だ。
日本にはまだまだ「完璧に話さなければいけない」信仰や「失敗したら恥ずかしい」メンタリティが根強く残っている。これは元々私達の持つ国民性や読みや文法といったインプット偏重の英語教育の賜物であろう。英語圏ではない他の国々の人と英語でコミュニケーションを取ると分かるが、文法も発音もさほど気にしている様子はない。あるインドの方はmotherを”マザル”と発音する。

言語でまず大切なのは言いたいことが伝わることだ。別に英語が話せなくても、知っている単語やジェスチャーを組み合わせれば伝わったという経験をお持ちの方は多いと思う。つまりアラビア語にしろネパール語にしろ、まずは伝わることが大切なのだ。

失敗を積み重ねることが非常に重要だ。失敗とはネガティブな響きだが、失敗は成功のもとである。日本人は英会話において失敗を恐れる気持ちがより強い様だ。このことは”英語を速く間違えなさい”という本にも書かれている。著者はニュージーランドの語学学校で英語講師を15年間つとめたそうで、、世界中から集う生徒達を教える中で日本人の生徒が他の国の生徒たちと全く違うと気づいたそうだ。それは「間違いを恐れる」ことだそうで、他国の生徒達は間違いを恐れるどころか進んで間違いをおかそうするのに対し、日本人は間違いを避けようとする傾向にあったそうだ。つまり積極的に発言していなかったのだろう。どちらの習得速度が速いかは想像に難くない。
失敗の機会を得られるのは日本語を伝わる講師と伝わらない講師、どちらだろうか。

英語しか伝わらない環境に身を置いてああもない、こうでもないともがきながら伝えようとすることは習得速度を速めるだろう。自身もクルーズ船勤務時、拙い英語で伝えようとした経験でSpeakingが伸びた実感がある。だから生徒さんにもできる範囲で日本人講師の割合を減らしましょうと話している。
NOVA、プログリット、イーオン、オンライン英会話サービス。どこで学ぼうとも学習の原理原則は同じだ。近道がないというのはその分苦労しながらも、やり甲斐のあるものだ。
ある時急に成長を感じる瞬間。これには代え難い喜びがある。

英会話上達における心得 Read More »

発想を変えんねん

立山の雄山神社から見た景色

私がキネシオロジーを学ぶ中で師ともう一人、この人には育ててもらっているなあと感じる人がいる。
彼は事あるごとに「発想を変えんねん」と言う。発想を変えるとは言うが、一体どこをどうすればええねん?ただ、キネシオロジー1年ちょっと続けてきて、やっと言葉の核心が分かってきた様な気がする。

ペアで行う、いわゆるセッション練習を行なっていると、度々詰まる場面に遭遇する。いかん、壁にぶつかった。どうすれば良いのだろう・・。そんな時は一呼吸置いて休みましょう。落ち着いたら再開だ。こんな時は発想を変えてみよう。今までの枠に捉われることなく、視点を変えてみよう。
筋肉反射テストで確認をする。ここじゃない、ここでもない、むむっ、この観点か?おっどうやらそうらしいぞ。一筋の光が差してきた。見方を変えたら思わぬ所に突破口を見出した。

先日私が取り上げた食事の話も同様だ。「悪いものをなるべく避けて食べる」ことと「エネルギーを得る為に食べる」こと。100日間、それぞれの意識で食事をしたら体へ及ぼす影響は大きく異なるだろう。日頃食べ過ぎで太ってしまっている人は前者でいいかもしれないし、日頃食事に神経を使い過ぎて訳もなく痩せている人は後者の意識で食事をした方がいいかもしれない。これもある発想の違いで食事をしていることになる。

発想を変えると言うのは英会話に置いても必要なことだ。
例えば「野菜を週5回食べている」と英語で言おうとしたが言えないとする。
正確に言うならば、”I have vegetables 5 times a week.”であるが、別にわざわざ週5回を持ち出さなくても、”I usually have vegetables.”にしても完璧な表現ではないが誤ってはいない。
「この表現はうまく言えないけれど、代わりに自分の知っている単語や表現で伝えるにはどうすれば良いのだろう?」
これは発想を転換して言い換えていると言えるだろう。
英語を学んでいると、「あ、こんなに簡単に言い換えられるのね」と思う場面に遭遇する。そんなに難しく考える必要はないねん。

これは発想を変えるトレーニングになると思う。
教科書通りや特定のフレーズ通りに言わなくても良いのだ。
人は思った以上に固定観念に囚われ、同じ行動パターンを繰り返しているものだと実感する。仕事では繰り返しのルーティンワークが発生しても仕方がないが、OFFの時間は行ったことなかった場所やレストランに足を運んでみたり、普段は聞かないアーティストの曲を聴いてみるなど今まで未経験だったことを体験することは発想の転換をする上で役に立つことだろう。
「あ、これとこれって似てるかもな」「すごい!世の中にはこんなことをしている人がいるのか」と感じるだけでも新たな発想を手に入れている。また、漠然と無意識下で思っていた点と点が急に結びついて線になることもあるだろう。

私の好きな言葉に、”直ぐ役に立つ本は直ぐ役に立たなくなる本 であるといへる。”という言葉がある。これは慶應大学元塾長であった小泉信三が自身の著書「読書論」で述べた言葉である。更に氏は同大学の工学部長であった谷村豊太郎が述べた”すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ”という言葉も引用している。

彼が言った「発想を変えんねん」という言葉は単純な様で奥深い。もしすぐに分かっていたら、すぐに役に立たなくなっていたかもしれないが、幸い肚に落ちるまでに時間を要した。

キネシオロジー然り、本物の何かを会得するには万物がそうである様に、多大な時間を要するものだ。
ここはひとつ、長い時間軸に身を置いて物事に取り組みたいものだ。

発想を変えんねん Read More »

仮名の間

お刺身の盛り合わせ

日本人はたくさんの間を包含している。
それは目に見えないプロセス、コミュニケーションの細かな言葉にならない差異。
マニュアルでは伝えきれない機微の数々。
それは自身で感じて、実践するしかないのだ。

その目に見えない何か、言葉では伝えきれない何かは日本語という言語が可能にした。
かな文字の発明で大きく変わったのではないか。漢字だけではストレート過ぎる。
中国語は漢字だけ。英語ではアルファベットだけ。
ストレートな表現になる。
かなを持つことで、日本人は柔らかくなったかもしれない。
日本人が中国の方や英語話者達の表現が率直過ぎると感じるのはそこにあるのかもしれない。
日本人が戸惑いを感じるのはそこかもしれない。
そういう意味では、中国とアメリカにおけるストレートさというのは共通項の一つなのかもしれない。
その率直さ、ストレートさ故に覇権を争っているのかもしれない。

私達が英語を使う時、自身の心の内をより正確に、誤解なく伝える為に副詞を使いたがるのは率直に伝え過ぎると失礼にあたると身構えてしまうからなのではないか。
相手に不快な思いをさせたくないのではないか。
英語はSVOCである。伝えたいことから単語を並べる。無理やり副詞をねじ込むと相手はかえって混乱をする。
本音の輪郭がぼやけてくる。あれ、伝えたいことはなんだっけ?
それでいいや、その曖昧さを楽しみましょうや。

ドイツの哲学において、唯物論よりも観念論が発展している様な気がしているのも、独語そのものの影響が多分に含まれているかもしれない。
マルクスは史的唯物論なるものを唱えたが、よくよく中身を見ると心の動きにも重点をおいている。

日本人はmodifyが得意だ。
なぜだ?
それはかな文字と漢字を使うという、言語におけるhybridなアプローチから端を発している可能性は大いにあり得る。
かなを使うと、表現に強さの加減をまぶすことが出来る。より細かく物事を伝えることが出来る。
そこには漢字だけでなし得る必要最低限の伝達事項のみならず、複雑な情報が介在する。
それとmodifyにどの様な関係があるのか。

他者の作り上げたオリジナルに対して、かなという漢字の隙間に入り込む文字を得ることで、より複雑な基盤や回路を組み上げることが出来るのだ。
つまりかなを使うということは、その物事のわずかな隙間に巧妙に入り込むことが出来るのだ。
そのmodifyはオリジナルの隙間に入り込み、時に大幅な改良やカイゼンをもたらし、世界に衝撃を与えてしまうのだ。
それがウォークマンであったり、自動車であったり、時を更に遡れば数々の伝統工芸に垣間見ることが出来る。

言語は人を創る。日本語の対極に英語があるとするならば、それを活用して両端を自由に行き来できる様になろうじゃないか。

仮名の間 Read More »

English as a tool を実践する人たち

英語を道具として扱うギリシャのお店

オンライン英会話講師を始めて数週間が経った。

最初のレッスンは非常に緊張したが、その後は比較的リラックスして、愉しい時間を過ごしている。

私の講師をしているサービスは基本プランが月6,480円で話し放題。人気講師の場合は別途予約が必要で、有料のコインを購入して予約枠を押さえる必要がある。

生徒には色々な人がいる。

子供から高齢者まで、年齢層は幅広く、個性豊かな人達が集う。
当初、子供のレッスンはNGに設定しようと思ったが、話してみるととても楽しい。もちろん、彼ら彼女達は親の意向で行っている場合が多いだろう。発想の豊かさに驚かされる。
そして最近気が付いたのは、私は結構子供が好きで、そして何故か意外と子供から慕われる(なめられていることが多い 苦笑)ことが多いのだ。

先日大学時代の友人宅へ行った際、彼らの3歳の息子さんがいた。彼は”あそぼ”としきりに誘ってくる。プラレールで遊び、私が”ちょっと休憩して良い?”というと、彼は”いいよ”という。しかし数分後にはまた、”あそぼ”である。

そしてその無限ループが繰り返される。
子供が懐いてくれることは、何故だかとても自信になる。
この一連のやりとりも、子供の生徒さんOKにしようと思った要因かもしれない。

話は逸れたが、英会話の生徒さんの語彙や表現の幅には当然差がある。
発音が私より綺麗だが会話に詰まりやすい人、語彙は少なめだが自身の知る単語を器用に組み合わせて滑らかに話す人、既に流暢で私より話せる人(時々いる)、などなど。。

現在のレッスン数は60を越えた程度であるが、なんとなく上達が早い人と少し苦戦する人の違いが見えてきた。詳細は機会があればまとめたいと思うが、一つ感じるのは、英語を道具として使っているかいないかというのは大きいと思う。

“English as a tool”. 直訳するならば、”道具としての英語”だ。つまり、英語をコミュニケーションのツール(道具)として使用している人達だ。

生徒さんの中には、自身の日本語で伝えられることを完璧に訳そうとして、表現を聞いてくる方がいる。例えば、今日の生徒さんであれば、”無謀なことにと伝えるにはどうしたらいいか”ということを聞かれた。私も分からなかった。そこで授業中に辞書で調べると”recklessly”という副詞が近い意味だということが分かった。会話で使ったことのない単語であった。

しかし、使う単語数は少ない人の中には、滑らかにお話をする人が数多くいる。私のイメージだと、その方々はおばちゃんやおばあちゃん世代の方に多い気がする。それも雰囲気から察するに細かいことをあまり気にしなさそうな方々が多い。
そういった方々の心の内を垣間見ることは難しいが、どうやら”無理せず今あるものを組み合わせて話そう”という雰囲気の方が多い様に感じる。

こういった方々を私は勝手に”’English as a tool’ を実践する人達”と名付けることにする。

生徒さんの中には、発音や文法の間違いを気にされる方が多い。言語のルールに則って話す事は良い心掛けかと思うが、あまりにも気にし過ぎて無意識に間違いを恐れて言葉に詰まるケースも散見される。

私の勤務経験から話すと、英語を母語としない方々は細かなミスは気にしない。インド人や台湾人、ヨーロッパの上司はボンボン言葉を発してくる。私が偉そうに言えたものではないが、発音がめちゃくちゃな人も多い。しかしその発音のうまさと仕事の出来る、出来ないは無関係である。伝われば良いという雰囲気がプンプンする。英語をコミュニケーションツールとして割り切っている”English as a tool”の実践者が彼らの中には多いと感じる。

完璧な文法や発音を目指す人を悪いと言いたい訳ではない。しかし、それらを追い求め過ぎて、コミュニケーションの数や機会を失ってしまっては元も子もない。
何故なら、言語にしろ他の物事にしろ、失敗の数は上達の進度に比例するからだ。

まずは思い付きでボンボン話してみる。そこで失敗したらならば、講師に指摘してもらえば良い。
拙い英語でも相手に意図が伝わる喜びは思いの外大きい。
私はそんな喜びの瞬間を得るきっかけを提供出来る様、生徒さんの力になりたい。

English as a tool を実践する人たち Read More »

各言語の周波数帯域

古代ギリシャの石板

言語間距離

先日の記事では、日本人が英語に苦戦する理由について、言語間距離について少し触れた。言語間距離を簡単にいうと、それぞれの言語がどれだけ似ている、もしくはどれだけ異なるか?という程度を示すものである。

言語間距離については、大変分かりやすい図があった為、引用する。

画像
引用: JBpress インド・ヨーロッパ語族が拡散した意外な理由とは

分かりやすい例でいくと、上図の下部、ラテン語から派生している言語にはポルトガル語、スペイン語、フランス語、イタリア語がある。これらは先祖がラテン語と言う共通点がある為、短絡的に述べると原語間距離が近いし、”兄妹”の様なものということになる。

実際、スペイン語が話せる人はフランス語やイタリア語などの他のラテン言語を話せる人が多いし、これらの言語私が以前働いていたクルーズ船でも、そういった人々が数多くいた。

言語における周波数と英会話

こういった言語間距離だけでなく、日本人が英語に苦戦する理由がもう一つある様だ。それは、言語の”周波数帯域”である。日本語の日本語が使う音の周波数が500~1000hzあたりが中心なのに対し、英語は2000〜3000hz以上であり、下図には反映されていないが、場合によっては8000〜10000hzであるという。

画像
引用: zone.7 #725 日本語の声域の周波数

つまり日本語を使う日常生活では、英語の周波数帯を使うことは少ないことになる。

このあたりの周波数は日本語の会話では使われていませんので、「モゴモゴしているように聞こえてしまい、聞き取れ」ない、というより、実は日本語の周波数に慣れている日本人の耳は2000ヘルツ以上の周波数を、「雑音」として脳が処理=キャンセリングしているのです。

出典: 高城未来研究所「Future Report」Vol.600

これが日本人が英語のリスニングに苦戦する一つの理由となるだろう。
周波数についても簡単に説明する必要がある。

周波数とは、”規則正しく繰り返される現象の、単位時間あたりの繰り返し回数のこと。1秒あたりの繰り返し数を「Hz」(ヘルツ)という単位で表す。

出典: IT用語辞典 e-Words周波数【frequency】

簡単に述べると、周波数が高ければ高い程、高音で周波数が低い程、低音である。確かに、英語は日本語に比べれば音が高く聞こえるし、日本語はとても落ち着いて話している印象(低音)を受ける。参考までに、蚊の飛んでくる音は20000Hzだそうだ。確かに高音だ。

対策として有力なものの一つに、ひたすら2000~3000Hzに触れる時間を増やすというものがある。これは脳に「この周波数帯域は、雑音ではない」と覚えさせるアプローチになるそうだ。

上記に従うならば、一昔流行った”聞き流すだけ”の”スピードラーニング”だけで聞ける様になりそうだが、そうとなっていれば今も多くの人がスピードラーニングを使用しているだろう(当事業は2021年8月31日に終了している)。
インプット(聞く+読む)だけでなく、アウトプット(話す、書く)が必要だということを示しているのかもしれない。

2000Hz〜3000Hzの音源は様々だ。先に挙げた英語だけでなく、私達が聞く音楽にあるかもしれない。

ちなみに、下記は2000hzと3000hzの音源である。

はっきりと違いが分かるくらい、音に差があることが分かる。

また、ピアノの鍵盤でいうと、2000hzはシ6とド7の間、3000hzだとファ#7 とソ7の間になる。これはピアノの鍵盤でいうと下記の場所だ。右側なのでピアノの一番高い所になる。

画像
引用: Pixabay OpenClipart-Vectors (内容を改訂)

興味のある方は、20Hz〜20000Hzもあるのでご覧いただきたい。

まとめ

ここで感じたのは、言語を話すということは人格の形成にも大きく関与しているということだ。

日本語の様な低周波数(低音)を一生ずっと話している場合と、英語の様な比較的高周波数(高音)の言語を話しているのでは与える影響は大きく変わる様のはある意味必然なのではないだろうか。

筆者は話す言語の文法が大きく人格形成に影響すると考えてきた。
例えば、”私は野球をします”は英語でいうと”I play baseball”となり、単語順でいうと”私 します 野球”となり、”します(play)”が先に来る結論先行型になる。

日本語の”私は野球をします”の”play”、”します”が最後に来る様に、結論をギリギリ最後にする場合が多い。

これが英語話者が本音を言いやすく(文法的に結論を後に出来ない≒誤魔化せない)、日本語話者が本音を言いにくい(文法的に結論を後にも先にも出来る≒誤魔化せる)という傾向を作り出していると考えていた。

しかし、文法だけでなく言語によって異なる周波数も人格形成に大きな影響を及ぼしていることだろう。

上記の図を見ると、フランス語には空白の周波数があることが分かる。
また、ロシア語は125Hz〜12000Hz(調べた文献には8000Hzまでという記載が多かった)までの帯域を広くカバーして、まるでカメレオンみたいである。

これらの空白が何に影響しているのか、非常に広い帯域が何を意味するのか。言語の周波数帯域と人格形成を考察すれば、何か新しいものが見えてくるかもしれない。

各言語の周波数帯域 Read More »

言語を学ぶとは

コス島にあるヒポクラテスの木への案内板

先日、私の好きな人物が監督を務める映画を観てきた。映画の言語はスペイン語。舞台はキューバで監督は日本人。本作の大きなテーマの一つはこれから起こるで広がるであろう民主社会主義について。

北欧の国々をスペイン語で発するシーンがあり、フィンランドのことをFinlandiaと発音していた。スペイン語のリズムは英語のそれとは異なり非常に独特で、国名の単語に関しても、英語とは異なるのでとても面白い。

私はFinlandiaという単語を聞いた瞬間に小学校の頃、地元の芸術館で行われた校内の合奏演奏会?のことを思い出した。記憶によると、そこで他のクラスが演奏していた曲の名前がフィンランディアだった。

調べてみると、フィンランディアはジャン・シベリウスの代表曲だということが分かる。フィンランドを代表する作曲家だそうだ。早速Apple Musicで聞いてみる。曲自体は覚えていない。しかしフィンランディアという曲名だけ覚えている。当時の私はイチロー選手の影響でMLBが好きだった。その為全30チーム名の前につく都市の名を覚えていた。フィリーズの都市名は?フィラデルフィア。当時の私にはフィンランディア=フィラデルフィアで、アメリカの何かだとなんとなく勝手に思い込んでいた。しかし先の映画でフィンランディアがフィンランドのスペイン語における固有名詞だということを知る。突然、20年近く前の勘違いが解消される。

英語を使っていると、その他の言語に興味を抱く。短い期間だが、クルーズ船で働いていた時期があった。当然ゲストの国籍は様々である。フランス人のマダムが発する”Bonsoir(ボンソワール)”はとても優雅に聞こえるし、イタリア語のなんとも言えぬリズム感は癖になる。ギリシャ語は数学の記号をアルファベットとして用いるし(Θ,Σ,Φ,Ω, etc..)、英語以外の世界を知ると意外な語源を知ることとなり、点と点が繋がる瞬間が多々ある。

そこで勿体無いと感じているのが、テレビ番組の吹き替えである。私は極力テレビを観ることを控えているが、食卓でテレビがついている時、海外の方を連れてきて日本の文化凄い!という内容の番組が放映されていた。この番組をしばらく観ていると、その海外の方の言葉は面白おかしく吹き替えられていた。これは一種の機会損失となる可能性を含む。何故なら、その人が発する生の言語を聞く機会を失ってしまったからである。英語一つとっても、国によって独自のイントネーションや訛りが存在する。イギリス、アメリカ、オーストラリア。英語を母語とする国でもそれぞれの発音が異なる。それを聞くだけでも”あー、この人はこう言う感じで話すのか。”などと想像をする愉しみが生まれるが、吹き替えでその機会を失う。それが無い。少しレアな言語なら尚更である。例えばセルビア語。この言語はスラヴ語派に属す為、余韻がロシア語に似ている。もしテレビでセルビア語を話している場面を放映されても、吹き替えられていたらそのセルビア語がロシア語とどこがどう違う感じなのかを聞き分けるトレーニングする機会を失われてしまうということになる。と、勝手な意見を申し上げたが、吹き替えに関しては視覚に障害を持つ視聴者への配慮がある可能性を忘れてはならない。

母国語以外の言語を聴くことは、聴覚への刺激となり、良い影響を及ぼすという文章を目にした記憶がある。つまりこの文章が正しければ、TVで聴く外国語を吹き替えせず、字幕のみで放映すれば、TV視聴者は聴覚のトレーニングを行うことが出来るという論理が出来上がる。子供達への知的好奇心を刺激するチャンスが増えるかもしれないのだ。”パパ、この言葉は何語なの?”

クルーズ船で働いている時、顧客の国籍がバラバラだと船内放送はカオスになる。多い時には同時に9カ国語で放送されることがあった。英語に始まりスペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ドイツ語、ギリシャ語、トルコ語、イラン語といった具合だ。伝える内容は同じでもそれぞれを聞くだけで雰囲気がだいぶ異なる。これだけでも聴覚は刺激されるし、好奇心を掻き立てられる。

世界最大規模の語学学校であるEF(Education First)がまとめた2022年版の英語能力指数によると、ランキング第1位はオランダである(111ヵ国中)。オランダで観る英語の海外ドラマや映画には基本的には吹き替えがなく、児童向けの番組も吹き替えなしのオランダ語字幕が基本だそうだ。更にBBC、CNN、Discovery などの放送は英語で字幕無しで視聴出来る環境が整っているとのこと。これなら幼少期から英語に触れられる機会が増えるし、他国の言語がより身近になり、習得率や上達に影響するのは想像に難くない。

ちなみに、先の英語能力指数ランキングによると、日本は111ヵ国中80位。アジアの中だと24ヵ国中14位。格付けでいうと、”低い”である(格付けは非常に高い、高い、標準的、低い、非常に低いの五段階)。


日本国民として、順位が低いことに対する言い訳材料を探すならば、言語間距離の開きが挙げられる。これはそれぞれの言語がどれだけ似ている、もしくはどれだけ異なるか?という程度を示すものである。
例を挙げると、中国語を学ぶ際、日本人は中国語同様、漢字を使うので日本人に言語習得のアドバンテージがあるが、英語を母語とする人からすると言語の距離自体が遠く、学ぶのは難しく感じる。
また、スペイン語と英語はアルファベットを用いる且つ共通の単語が多く、相互の国では学びやすいが、日本人は漢字とひらがなとカタカナを用いるので学習進度の差が開くといった具合だ。

それにしても、一応先進国と言われている国が、アジアの中でも下位である。中国語や韓国語も同様に英語からの距離は遠いが、日本より上位である。現在は母国語を話すことが出来れば仕事にも困らない。

2022年10月にIMFが発表したWorld Economic Outlookに記載された一人当たりの名目GDPは、2022年は台湾に対して抜かれる見通しであり、近年中に韓国にも抜かれる可能性が高いことを示している。下図をご覧の通り、日本は80年代以降で抜かれたことはなかった。また、95年以降成長していないことが分かる。これが、いわゆる”失われた30年”の正体だ。

画像
紫の線が日本、緑の線が韓国、赤い線が台湾
引用:IMF GDP per capita, current prices
※上記のwebページでは国を選択するとグラフが自動作製され、比較することができる。

このまま”失われた30年”がダラダラと続き、思いもしない天変地異が日本列島を襲うようなことがあれば、外貨獲得に乗り出す必要がぐっと増すかもしれない。そんな緊急事態を救うのは、他言語という可能性もある。

言語を学ぶとは、つまり、上記の図の様な一次情報に直接アクセスをして、加工をされていない情報源に辿り着く為の術でもある。

言語を学ぶとは Read More »

小中高の英語はspeakingメインにすべき

おはようございます。
昨晩の3時頃、私の滞在しているロッジに突然モンゴルの方々が10人程で泊まりにきた様です。
何故彼らは泊まりにきたのでしょうか。
こういうイレギュラーな感じ、面白いですね。

どうやら彼らは東京から来た様で、働いている人と学生の人がいる様子。
あまり日本語がうまくないので、「ちょっと英語で助けて欲しい」と依頼が。
どうやら朝食を食べたかった様で、ご案内をしました。

私の英語は胸を張れる程のものではありません。
発音も普通ですし、難しい単語を使いこなせる訳でもありません。
但し、会話をすることが出来ます。

日本では、何故中学高校であれだけ英語を学んでいたのに、使うことが難しい状況が起きているのでしょうか。
今私が日本の英語教育を振り返って思うのは、「英語に対する心のハードルを上げている」ということ。
「ちゃんと発音できなければ使ってはいけない」「失敗してはいけない」どこかそんな気持ちを植え付けている気がしてなりません。

本来言語が話せなくても、身振り手振りがあればなんとか伝えることが出来ます。
しかし言語が話せればもっとスムーズにやり取りが出来ます。
つまり言語はまず伝わればいいのです。

そこから考えてみると、英語を学ぶゴールは人それぞれあれどまずは「伝えられて、聞ける」が最優先。
となると話すことに重点をおくことがベストだと思いませんか。

机に座って暗記をして、穴埋めを解くだけではいつか忘れてしまいます。

まずは学校教育で「何故英語を学ぶのか」を生徒に考えてもらい、「会話重視」のカリキュラムにした方がいいと感じました。

そんなことを感じた本日の朝でした。
将来は同志となる人と、理想を詰め込んだ学校を作りたいと思っています。

それでは。

小中高の英語はspeakingメインにすべき Read More »

色々な言葉でHow are you?

おはようございます。本日はピレウス港に到着。
本日はピレウスに19時頃まで停泊しますので、比較的ゆっくり出来ます。

ピレウスは私がギリシャに到着してから最初の1週間を滞在した場所。
その為か深い思い入れがあり、とても好きな街です。

本日はピレウス滞在中によく出入りした所を周りながら、楽しもうと思います。

さて、本日は軽めの話題を。
私の働いている船に船の中には推定(?)40もの国籍の人が働いています。

そうすると、それぞれの言葉のHow are you?→Good!がある訳です。

例えば、
スペイン語がComo estas?(コモ エスタス)→Bien(ビエン)
ギリシャ語であればTee Kah-nees?(ティカニス)→Ka-lah(カラ)
トルコ語であればナソスーン?→イイーム

といった具合です。
これをそれぞれの母語の人に対して使うと、中々面白いです。

例えば私が同僚からHow are you?と聞いてきて、私がGood!と答えるとします。
そこで私がその同僚の母語で聞いてみる訳です。例えば、スペイン語が母語の人であれば、先程のComo estas?を使って聞いてみる訳です。そうすると、How are youで聞くよりも嬉しそうなリアクションでBienと言ってくれます。

面白いのは、段々このやり取りが慣れてくるとある一定の人は「日本語でHow are you?は何ていうの?」と聞いてくれます。
そこで私は「元気ですか?(Gen-ki desu-ka?)→元気です(Gen-ki desu)」を教えます。

そうすると次回から、「相手:Gen-ki desu-ka?→私:Gen-ki desu!」→「私:Como estas?→相手:Bien!」というやり取りにやなる訳です。
そこには英語が介在しません。

ちょっとずつ会話が進化(?)してくる訳ですね。
ちなみに余談ですが、私が出来るHow are you?→Good!はスペイン語、ギリシャ語、トルコ語、フランス語、中国語、イタリア語です。

私はただ面白いからやっているだけですが、これをすることで相手とよりいい関係を築く一助にもなっているなと感じています。
相手を理解しようとする姿勢が大事ということを教えてくれている様です。

これからも遊び心を大切にしながら、少しずつ言語の幅を広げていければいいなと思っています。
それでは。

色々な言葉でHow are you? Read More »